「寄港した船に乗った兄に会えず…」~本紙読者投稿より
昭和18年、私が19歳で、隣町の軍需工場に勤めていたときの話。 兄が広島の港に入港した船に乗っているという知らせの電報が入った。兄は召集で輸送船に乗っているらしいという事だけは解っ・・・
昭和18年、私が19歳で、隣町の軍需工場に勤めていたときの話。 兄が広島の港に入港した船に乗っているという知らせの電報が入った。兄は召集で輸送船に乗っているらしいという事だけは解っ・・・
昭和14年4月、中国に出征し、以後、復員まで八年間、中支、北支、南支へと転戦し、終戦となる。部隊の討伐戦、軍作戦に数知れず参加した。 明日、出陣と決まった日、いつもの事ながら、いつ・・・
私たちの世代は、戦争抜きでは人生を語れない。これは当時、詫間海軍航空隊にいた、ある兵曹の手記(18歳の遺言書)である。皆様に紹介しよう。 ◇ 《兵曹の手記》 昭和20年、詫・・・
老友新聞2021年9月号が発行となりました。 おもな掲載内容をご紹介いたします。 【1面】 特集:「小さな世界」に魅せられて ビンの中に苔や石で風景を創造 市田ひろみ連載コラム: ・・・
(本稿は老友新聞本紙2016年6月号に掲載された当時のものです) 皆さんご存知でしたか? 6月6日は邦楽の日・楽器の日です。 昔から日本の芸事は6歳6月6日より始めると上達すると言・・・
私の同窓生の一男さんは、小学校高等2年を卒業後、14歳で志願兵を志し、予科練航空隊として千葉県土浦へ入隊し、少年航空兵となりました。 当時は6年間までが義務教育で、男女は別の教室で・・・
昭和16年11月、詫間海軍航空隊の建設が発表された。 18年6月には同航空隊が開隊し、九十四式水上偵察機、二式飛行艇など含め、各地から2千名もの兵員が着任して猛訓練が開始された。 ・・・
明日来ても、もうこの店に電気のつくことはない。 私のイメージからいっても、和食だろう。しかしイタリアンが多い。京都では食事というと和食だし、おばんざいも濃い味が好きだ。 私のごひい・・・
忠君愛国の教育を受けた大正生まれの人ならば、心に残る教科書。「水兵の母」は、次のような書き出しだった。 「聞けばそなたは豊島沖の海戦にも出ず、また八月十日の威海衛攻撃とやらにも格別・・・
昭和20年2月19日、米軍の艦載機であるグラマン戦闘機80機が、数十回に渡り詫間、観音寺航空隊と、豊浜の暁部隊を空襲した。 予讃線(四国旅客鉄道)も銃撃され、死者2名、重軽傷者10・・・