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2022年01月07日

1月7日は「人日」の節供~「五節供」料理の由来と意味

お正月、家族が集ったときに欠かせないのがおせち料理だ。新しい年を迎えるにあたり、今回は五節供に作る料理とその意味を考えたいと思う。読者のみなさんの中には、孫のお守りをする方も多いだろう。小さな子どもたちに五節供の料理を作り、料理にこめられた意味や、和食や日本の文化を伝えていただきたい。そして、どんな状況の中でも、前の年よりも安寧に過ごせることを願いつつ新年を迎えたいものだ。

1月7日は人の運勢を占う日
「柏餅」は家系継承の縁起あり

五節供とは、人日、上巳、端午、七夕、重陽(9月9日)の5つの節供。奈良、平安時代に中国から伝来した式日という。それぞれの節供の由来と料理を学んでいこう。

■人日(じんにち)の節供(1月7日)
古来中国では正月一日から1日ごとに動物の一年の運勢を占った。1月7日は人の運勢を占う日であったことから人日と呼ばれるようになった。
この日に食すのは七草粥。厳しい冬を乗り越えて芽吹いた若草の力を分けてもらうという思いがこめられている。江戸幕府が人日を祝日にしたことで、七草粥を食べる習慣が日本にも広がった。

■上巳(じょうし)の節供(3月3日)
3月上旬の巳の日のことを上巳という。日本の桃の節句は、中国のこの日の催しに倣い、平安時代の貴族の間で始まった。
もともとは、この節供に飲まれていたのは薬種『桃花酒』だった。桃は中国から薬として入ったもの。桃花酒は邪気を祓い、気力や体力の向上に用いられた。
桃の節供にはちらし寿司が定番だが、これは比較的近年定着したといわれている。

(写真はイメージ)

■端午の節供(5月5日)
季節の変わり目である5月には体調を崩す人が多く、古代中国では厄除けの行事が行われた。そのため厄除けとして薬草である菖蒲が取り入れられるようになった。
端午の節供が男子の節供となったのは鎌倉から江戸時代にかけて。柏餅が食べられるようになったのは江戸時代で、柏は新芽が出るまで先の葉が落ちないので、家系継承の縁起をかついだものだといわれている。

七夕に素麺を食べていた
菊は長寿の薬花、菊酒で

■七夕(しちせき)の節供(7月7日)
古代中国の星伝説に由来する節供とは、ご存じの通り奈良時代の女性天皇・孝謙天皇が節供祭をしたのが始まりといわれている。
かつて中国では無病息災を願って、小麦粉を練ったものを紐状にして揚げた『索餅(さくべい)』というお菓子を七夕に食べていた。それが素麺の原型で、江戸時代には七夕に素麺を食すのは礼儀とまでいわれたと古い書物に記されている。

■重陽の節供(9月9日)
『日本書紀』の記載から、重陽の節供は天武天皇の時代(685年)に始まったと思われる。
中国では菊が長寿の薬花とされ、重陽の節供に菊酒として用いられた。
日本ではその慣習を模し、貴族たちが菊の花を愛でながら、菊酒に菊の花びらを浮かべて宴を楽しんだという。江戸時代には庶民にも菊酒の習慣が広まったといわれる。
古来伝わる行事には、色々な意味があり興味深い。重陽に食される菊は眼精疲労に効果的といわれる。

節供には、菊のおひたしや菊花茶などを添えるのは一考だ。また、今年は歴史を垣間見ながら穏やかな節供を過ごしてはいかがだろうか。

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