医療と健康
「老友ネズミ」のお話
人間誰しも年を取ると目はかすみ、物覚えが悪くなる。小生も還暦を過ぎたあたりからそのような現象が加速し、人間の身体にも耐用年数があると確信する今日この頃である。
さて、小生のところに生まれたときから眼や脳がちょっと変わったネズミがいる。その名を「弘前小眼球ラット」という。小生が前職場である弘前大学医学部で樹立した眼の小さなラットなのでそのように名付けた次第である。甚だ安易なネーミングである。因みに、ラットとはドブネズミであり、大きくなると体長は尻尾まで合わせると40cmにもなる。勿論、小生のネズミは地下鉄駅構内線路横の排水溝を走り回っているあの黒っぽいドブネズミではなく、実験用の清潔な白ネズミである。一方、今はすっかり見かけなくなったが、昔、縁日で売られていたカゴの中をちょこまか動く小さなネズミはマウスと言う。ミッキーマウスのマウスである。
それでは、早速、「弘前小眼球ラット」をお見せしよう。(図1)。実はこのラットは左側に写っている「SDラット」というラットからある日突然出現した。正確に言うと小生が繁殖させていたSDラットの子供の中に眼の小さなラットが混じっていたということである。SDラットは世界中で広く使われている実験用のネズミである。科学的な言葉で言うと「弘前小眼球ラットはSDラットから自然突然変異で生じた」ということになる。ゴジラのように水爆実験で生まれたわけではない。もう一度「弘前小眼球ラット」の眼に注目いただきたい。小さい眼の中に白い濁り(白濁)がご確認いただけるだろうか(私は眼鏡を外さないと見えない)。この白濁は眼のレンズ(水晶体)の中にある。レンズの白濁と言えば我々に馴染みの深い「白内障」である。そこで、色々調べてみると、白内障で白くなったレンズの中にも「弘前小眼球ラット」の白濁物の中にも共通のタンパク質があることが分かった。このタンパク質というのは、普段はレンズの中には見かけないものであった。つまり、「弘前小眼球ラット」の眼の中で起こっていることは、白内障の眼の中で起こっていることとよく似ているということである。もし、今後「弘前小眼球ラット」の白濁物を消せる薬物が見つかれば、白内障を治せる可能性があるということである。このような動物を「疾患モデル動物」と呼ぶ。どれほど多くの疾患の発症機構や治療法がこのような「疾患モデル動物」を使って解明されてきたか知れない。彼らに感謝である。
(図1)弘前小眼球ラットの眼の特徴
今の世の中、原因を究明しないと人前で発表するときにちょっと気後れがする。そこで、かなり頑張って原因を突き止めた。結論を言うと、「弘前小眼球ラット」は遺伝子DNAの一部が欠けたために、ある遺伝子も半分欠けてしまっているのであった。その結果、眼でのこの遺伝子の発現がなくなってしまった(図2)。「遺伝子」とか「DNA」とかの言葉にアレルギーをお持ちの方は多いと思うが、簡単にいうと身体の設計図である。設計図が欠けてしまえば完全なものは出来ない。「弘前小眼球ラット」で半分欠けている遺伝子は「クリスタリン遺伝子」と呼ばれる遺伝子であった。クリスタルとは水晶の意味であり、「この遺伝子は眼のレンズ(水晶体)の発達や機能にとって重要である。」ということでここまでの話はめでたくつながった。
ここで少々気になることがあった。それはクリスタリン遺伝子の隣にある遺伝子(ここでは仮に”遺伝子N”と呼んでおく)である(図2)。この遺伝子は脳で発現していて、脳の機能に関係がありそうなことが他の研究者によって報告されていたので、「弘前小眼球ラット」の脳での発現を調べたところ、ほとんど発現がなくなっていた。多分、近くのDNAが欠けてしまったあおりを受けて遺伝子Nの発現調節も変調をきたしてしまったものと思われる。そこで、次に「弘前小眼球ラット」の脳を調べてみた。これまでに分かったことは、「弘前小眼球ラット」の脳では老廃物などの不要物を分解する機能(オートファジーと呼ぶ)がうまく働かず、色々なものが溜ってしまうことである。その中にはアルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患の原因ともなる「α-シヌクレイン」というタンパク質も含まれていた。そう言われてみれば、「弘前小眼球ラット」はSDラットよりも動きが鈍いような?このあたりは今後の研究課題である。
(図2)弘前小眼球ラットの遺伝子の欠失
このように、「弘前小眼球ラット」はDNAの一部が欠けてしまったために、我々高齢者を悩ませる白内障や神経変性疾患を抱え込むことになった(図2)。まさに「老友ネズミ」と呼んでよい存在であろう。このネズミがこれら疾患のよいモデル動物になることを期待している。ただこの老友ネズミは我々にとってまことに羨ましい特徴も兼ね備えている。それは「繁殖率が高い」ことである。交配した後、SDラットに比べて確実に、早く、子供が生まれる。お盛んなのである。ぜひこの原因を突き止めてみたい。我々のために。
- 山田 俊幸 教授
- 日本薬科大学 大学院薬学研究科・薬学部薬学科 教授、理学博士
- 日々、学生たちと一緒に「老友ネズミ」を相手にここでお話した内容の研究をしています。
- 日本薬科大学 公式サイト
https://www.nichiyaku.ac.jp/
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