医療と健康
三峰修験者とキハダ
埼玉県にある三峰山をご存知でしょうか。東京都の奥多摩から雲取山を目指して北には和名倉山があって、谷を挟んだ東側に三峰があります。山梨・群馬・東京・埼玉の県境にあり、周りは切り立った急峻な山や谷が続く山岳地帯です。三峯神社は山岳信仰を発祥とする神社でもあり、地形からもそのことがよく理解できます。三峰の登山口から雲取に向かう途中には妙法ケ岳があり、ここには三峯神社の奥宮が鎮座しており、筆者も何度かここに登ったことがありました。今でこそ、登山道が整備されましたが、最終到達地点にある奥宮へは今でもクサリ場となっていて頂上の祠への到達の難所となっています。三峰は、両神山・白岩山・妙法ヶ岳の3つの峰から名付けられたとされています。その中心に三峯神社があり、早くから修験道を極める修験者(山伏)の霊場でもありました。修験道の修業の場とする「霊山」は全国各地にあり、多くの修験者が心身を鍛えて己の徳を積み衆生を救済したとされています。
神社はかつて、神仏混淆でありました。明治維新後、政府による明治元年(1868年)の神仏分離令に基づいて、明治5年に修験禁止令が出され、神仏混淆の代名詞とも言える修験道が廃される動きになりました。明治維新前まで全国で山伏が17万人いたとされますが、この禁止令によって修験道を志すものの道も閉ざされかけました。それでも高野山をはじめとする山岳修行の元祖の土地では、修験僧が修行を続け今でもその山伏姿を見ることができます。筆者も「大峰山」へは足を運んだことがあり、山伏の格好をした山岳修行僧に混じって登山をした経験があります。
修験者の開祖は、役小角(エンノオヅヌ:実在したかは不明)と言われます。この役小角が大峰山(和歌山)の近くの吉野山(奈良)での修行の中にキハダ(ミカン科キハダ)という木の皮(内皮)に薬効があることを見出したとされ、さらに、お大師様「空海」が自らの密教修行や中国への流学僧からの医薬に対する知識も相まって陀羅尼助という家伝薬が完成したとされます。疫病が流行った奈良時代、衆生を救済できる妙薬としてこの陀羅尼助が有名になり、かつ、お大師さまの全国山岳行脚の際に広く世間に広まったとされます。
さて、山岳信仰があるところをいくつかピックアップしてみましょう。出羽三山(山形県)、鳥海山(山形県)、蔵王山(宮城県・山形県)、日光山(栃木県)、迦葉山(群馬県)、三峰山(埼玉県)、御嶽山(東京都)、高尾山(東京都)、大山(神奈川県)、箱根山(神奈川県)、戸隠山(長野県)、御嶽山(岐阜県・長野県)、白山(石川県)、立山(富山県)、石動山(富山県)、富士山(静岡県)、伊吹山(滋賀県・岐阜県)、金峯山・大峰山(奈良県)、熊野三山(和歌山県)、大山(鳥取県)、石鎚山(愛媛県)、剣山(徳島県)、阿蘇山(熊本県)等が挙げられます。無論これが全てではありませんが、いずれも人を簡単には寄せ付けない山深い山岳に多いことがわかります。 なお、埼玉にある三峯神社は、秩父神社(秩父市街地)・宝登山神社(長瀞町)とともに秩父三社の一社です。神仏習合(混淆)時代には社内に観音院高雲寺(天台密教)があったとされ、その跡地は「興雲閣」という宿坊になっています。
さて、このような山岳修行の多いところには、薬草が多いことに気付かされます。陀羅尼助には、医薬品でもあるオウバク(黄柏:キハダ)が含まれていて、この樹木は山岳信仰とかなり密接な関係にあると言えます。このほかにも、エンメイソウ(延命草:シソ科ヒキオコシ)があり、行き倒れにあった人を引き起す(くらい苦い)起死回生の妙薬と言われるもので、これまたお大師さま信仰と密接に結びついた民間薬でもあります。最近の研究によると、延命草に含まれる非常に苦い成分にはさまざまな薬効があることが明らかにされています。また、日本三大民間薬と言われるセンブリ(当薬:リンドウ科センブリの全草)も陀羅尼助に入れられることのある薬草です。千回振っても(お湯で振り出しても)苦さが取れないことから、この名があります。これ以外にも、やはり三大民間薬であるゲンノショウコ(現の証拠:フウロソウ科ゲンノショウコの全草)もこれに入れられます。これら薬草に共通するのはいずれも「非常に苦い」ところです(ただし、ゲンノショウコは苦いといより渋い)。「良薬は口に苦し」の語源とも言えるのです。また、いずれも胃腸薬に関するもので占められるのも興味深いことです。東洋医学的な観点からは、我が国は湿度が高いので、湿気を嫌う消化器系(漢方などでは「脾」という臓器にあたる)が弱い人が多いとされ、このような意味でも、我が国では消化器疾患に有効な薬草が好んで使われるのかもしれません。
筆者は天然医薬品に関する研究をしていることもあり、三峰をはじめとする山にはよく出向きます。そこで、多く目にする薬木は、何といってもキハダです。三峰にこれらの薬木が多い理由は、やはり山岳信仰が絡んでおり、ここにおいて特筆すべきは天明年間に活躍した三峰普寛上人です。剣の達人でもあったとされる普寛上人は、この地位を捨てて木食修行のため諸国を行脚します。ついには、越後八海山、上州武尊山等を開山し、のちに木曾御嶽山王滝道を開き、広く一般にも山岳修行を広めた山岳修行僧でもあります。
最後に、普寛上人の逸話を一つ。木曾御嶽王滝道を開いた普寛上人や寿光行者(普寛行者の高弟)は、王滝口登山道の開拓に協力してくれた王滝村の村人に対するお礼として“霊薬百草” の作り方を教えたとされます。この霊薬百草こそ、「百草丸」であり、主役となる薬木がキハダなのです。
キハダエキスを使った産官学連携商品
このように山岳信仰が病苦の解放とも密接に関連していて、これにおいて修験者が薬草に明るかったことも十分に頷けます。みなさんも、こういった歴史を紐解きつつ、薬という人類の叡智にも触れ、神社仏閣巡りをするのも如何でしょうか?
- 高野 文英 教授
- 日本薬科大学 薬学部薬 学科 教授
- 東北薬科大学大学院修士課程修了、東北大学教務職員(博士(薬学)取得)
天然薬物から薬理学的機能性がある成分を見出し探索その化学構造を明らかにする研究を専門としている。講義では、動植鉱物から見出された医薬品、あるいはそれを基礎として合成された医薬品を講義し、天然からの医薬品探索の面白さを伝えている。 - 日本薬科大学 公式サイト
https://www.nichiyaku.ac.jp/
この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。
- 今注目の記事!