医療と健康
災害時のエコノミー症候群
令和六年と新しい歳になりましたが、正月元旦から、能登地方が大きな地震(震災)に見舞われ、二日には羽田空港でのJAL機と海上保安疔機との衝突と、なにやら不穏な歳の始まりとなってしまった感があります。年明けから、日々の生活でのリスク管理や、いざとなった時に対して十分な備えを考えておかなければと思を新たにされた方も少なくないと思います。
特に能登半島地震では230人以上の方々が犠牲となり、現在もまだ多くの方々が避難生活を余儀なくされています。その多くは高齢者であり、特有の健康問題も数多く顕在化し、対策が急がれています。このような避難生活のなかで、特に注意をしなければならないのが「エコノミー症候群」と言われる病気です。この病気は避難所などで、長時間体を動かさないような生活を送っているような場合、静脈の中を流れる血液に無数の小さな血液の塊(「血栓」)が発生し、その血栓が特に肺の血管(肺動脈)に目詰まりを起こした状態、すなわち「肺塞栓症」を発症してしまいます。肺塞栓症では胸の痛み、呼吸困難そして循環不全などが急速に悪化し時に死に至る恐ろしい病気の一つなのです。
この病気、もともとは「エコノミークラス症候群」とか「旅行者血栓症」と呼ばれていました。それは、長距離を飛ぶ飛行機で、特に座席周りが窮屈なエコノミークラスの乗客に多く出現したからなのです。狭いエコノミークラスの座席では体、特に足腰の動きが大きく制限されてしまいます。加えて、乾燥した機内、低い気圧下で体内水分の蒸発、水分摂取不足などによって、いわば脱水の状態となり血液の粘度が上昇しやすい状況になるのです。このような状態で下肢の血液の流れが悪く血管内に留まりやすくなる「うっ血」が発生し、その結果小さな血液の塊=血栓が出来てしまい、それが血液によって運ばれ、肺の血管をつまらせる、すなわち「肺塞栓症」となって死に至るような重大な症状を引き起こすのです。同じような原因でエコノミー症候群は飛行機だけでなく、今回の大地震後の避難所での生活や、自宅の損壊によって車中泊をせざるとえないような人々にもまったく同じような状況になってしまうことが、よくあります。避難所や車の中などでは、日常の家の中でのコマゴマとした体の動きが失われる他、断水などの影響や不衛生になりがちなトイレで用を足すことに躊躇(ちゅうちょ)しがちになり、そのためにトイレを我慢して食事や水分の十分摂らず、長時間じっとしたままで過ごすような状況になりやすいため、エコノミー症候群が発生しやすくなるのです。震災などの避難所でのエコノミー症候群は高齢者なかでも女性高齢者に多く出現することが報告されています。
エコノミー症候群を予防するためのポイントは三つです。①運動、②水分補給、③トイレを我慢しない、の三つです。①の運動については、出来るだけ立ち上がって歩くように努めることと、特に足先の運動(底屈を背屈)をこまめにすることが、血栓の出来るのを防いでくれるのです。②の水分補給については、お水やお茶など1日1リットルを目途に飲むようにしましょう。水分補給は単に脱水を防ぐだけでなく、口腔ケアと肺炎予防の観点からもとても重要です。水分が取れない状態では、歯磨きなどの口腔ケアも十分できなくなるため、汚れた唾液などで雑菌などが肺に入って生じる誤嚥性肺炎を生ずる可能性も高くなるのです。水分は常に十分取るように意識してください。③のトイレの問題は自分だけで解決できる問題ではなく、難しい面もあります。しかし、東日本大震災の時も、そして今回の能登半島震災でも、トイレの問題が極めて重要であることが明らかにされています。各自治体は避難所と決められた場所には万が一に備え、トイレの量も質も十分準備しておくことが求められると思います。
エコノミー症候群の本態は脱水と身体特に下肢(足腰)を動かさないことによる、静脈血のうっ滞による血栓の形成ということになります。そのため予防法は十分な水分補給と足腰をまめに動かすことにつきるのですが、下肢の運動が難しい場合は弾性ストッキングを着用するのも有効とされています。足を圧迫することで、血流を促し、血液が滞るのを防ぐことにより血栓の形成を抑制することが出来るのです。是非ご自宅にある緊急避難セットの中に弾性ストッキングを一足入れておいて頂きたいと思います。
今回は災害に伴うエコノミー症候群について、その実態や予防方法について紹介しましたが、実は私達の毎日の生活のなかでも、こまめに家事で身体を動かすこと、足をもんだり体をほぐすような自分に合った軽い体操を日課に取り入れること、水分の補給に充分注意して脱水状態にならないように気をつけることなどは、災害時の問題としてだけではなく、高齢期の健康にとってどれも大切な日々の生活習慣ということが言えます。万が一の災害にも普段からの生活の積み重ねが重要であることを今回の震災は教えてくれていると思います。
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- 鈴木 隆雄 先生
- 桜美林大学 大学院 特任教授
- 国立長寿医療研究センター 理事長特任補佐
- 超高齢社会のリアル ー健康長寿の本質を探る
- 老後をめぐる現実と課題(健康問題,社会保障,在宅医療等)について,長年の豊富なデータと科学的根拠をもとに解説,解決策を探る。病気や介護状態・「予防」の本質とは。科学的な根拠が解き明かす、人生100年時代の生き方、老い方、死に方。
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