コラム
「名作が語るもの」~作品から広がる世界
(本稿は老友新聞2020年8月号に掲載した当時のものです)
世界中が辛い空気の中で、この暑い夏を迎えることになった。
地球がひとつになったことはめずらしいことだけど、良いことでひとつになったのではないから。この苦しみはいつまで続くことか。
音楽を聞くとか、絵を見るとか、そのひとつの作品から広がる世界に、作品が投げかけるものを探れる。
私がクラシック音楽にふれたのは小学校の頃。父の好きだったクラシック音楽のレコードが山のようになって部屋を埋めていた。
父が教えてくれた最初の曲はビゼーの『カルメン』と『アルルの女』だった。今ではあまり聞くことはないが、久しぶりに曲が流れると懐かしさが込み上げる。
50年に渡る父の人生が、音になって響くのだ。
私も長い人生を生きた。テレビやメディアが私の人生を取り上げたこともあって、私の大方の人生は知られている。
音楽は人生を語るものだ。
今、好きなのはスメタナ。『モルダウ』だ。
チェコスロバキアの首都、プラハに流れる大河モルダウは、長い年月、この国の歴史を見て来たのだ。
私はこの曲とあわせて、波乱万丈のこの国の歴史を読んでいたので、モルダウにかかる石橋の上に立った時、不思議とあの曲が聞こえて来た。
3月の寒い日。国土を失ったスロバキアの人々は、どんな思いでこのモルダウを見つめたのか。雪が降り積もる冬の音は、雪の冷たさの中で冬を語っていた。
音の底から湧き出る思い。チェコの人々は、国を信じながらその建国の思いに満ちていた。歴史を語る名作だ。
ふと思い出すのは、モスクワのトレチャコフ美術館の、抜群の作品だ。
若い母が、夫の亡骸を車に乗せて、左手には7~8歳の男の子の手をひいている。雪はあたかもいじめるように激しく降り、子供はけなげにも冷たさに立ち向かっている。
若いお母さんはこれからの暮らしを思う。幼子を抱えて、どうして生きてゆけば良いのか。
たしか、『貧しき人々』というタイトルだったと思うが、まさに貧し気若い母の秘めた生きる力を示した作品だ。
一握りの雪もまた、人生を語って見せるのだ。あの若く美しい母は、強く生きていることだろう。
雪と言えば、もうひとつ。高山辰雄の「音」だ。
画面全体が真っ白の雪景色だ。
一番奥に、わらぶきの家がポツンとある。一人の旅人がその家を目指している。家の主人なのか、親戚の家なのか、子供の頃に暮した家なのか。ひたすら雪原を歩く。もしかしたら、膝まである雪原のサクッ、サクッ、という音が、近くに行けば聞こえるかもしれない。
何の目的で彼はこの家を目指しているのか。絵を見る人には確かな作品の語る雪と風の人生は、吸い込まれるように幼い時に戻る。
わらぶきの家に待つのは、母か、子か、嫁か。
薪が部屋を暖めてくれる。
(本稿は老友新聞2020年8月号に掲載した当時のものです)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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