コラム
神様ありがとう
(本稿は老友新聞本紙2020年2月号に掲載した当時のものです)
「あぶないところで仕事してはるのやなあ」
と気にしつつも、いつの間にか中村哲先生のイメージは、アフガニスタンと一体化していた。
そして12月5日。恐れていたことが起こった。
間違いなく、テロだ。だって、ペシャワールって、最もタリバンなど過激派などの多い危険地帯だ。
私がこのあたりを旅したのは1974年のことだ。つまり、その5年後、ホメイニ師によってイスラム原理主義とともに、安住の地ではなくなった。そのときはトルコ・イラン・アフガニスタン・パキスタンの3週間の旅だった。もちろんイスラムの影は服装の中に残っていたし、各種の精神は服の中に生きていた。
3月14日。タクシーでカブールを出発した。カブールからペシャワールまで160キロ。車はベンツだ。大きな荷物と私達3人。東へ出発。すれ違う車も無い。青いカブール川に沿って走る。
お茶を飲もうとジャララバードで休憩。木のいすに座ってチャイ。紅茶と同じ。
「ヤパニ?(日本人なのか?)」
「ヤパニ」
すると一騒ぎ。
「どこへ行くのだ」
「ペシャワール」
「そしたら、僕のバスで行け。ペシャワールに客を迎えに行くので、行く時には客はいない。ペシャワールまで一人100アフガンで良いよ」
「いらない。私達はベンツ、ベンツ。これでペシャワールまで行くから」
あとは教育のことや農業のことなど雑談。
さて、おじさん達とも別れてペシャワールへ。木で作られた出国ゲート。
私達の運転手はここまでの金をくれという。
「何言ってるの。ペシャワールまで約束したじゃないの」
「だって、パスポートを持っていない。ペシャワールはパキスタンだから、パスポートが必要だ」
当たり前だ。パスポートが無ければ入国できない。税関の職員は一人もいない。
運転手は
「金!金!私はカブールまで帰らなければならない」
仕方なく、3人で1400アフガンを支払う。絶望。四方を見渡しても一切何も無い。どうすればいい?
Aさんは
「この山の裏に村があるかもしれない。行って来ます」
どこから現れたのか、私達の荷物に子供達が群がる。
「Bさん、来て!」
私は叫んだ。
やがて日が暮れる。こんな砂漠に放り出されたら、無事に生きては帰れない。
その時、車の音が聞こえた。向こうからバスが来る。私は道の真ん中で両手を上げて
「STOP!STOP!」
と叫んだ。アフガンバスは、そのまま通り過ぎようとしたが、運転手がジャララバードで一緒にお茶を飲んだ日本人だとわかると、急停車してくれた。
「ヘルプ!ヘルプ!」
運転手はにやっとして、こっちへ乗れと行ってくれた。
子供達は乗車する人の荷物を運んでチップをもらうのだ。大きな荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
ベンツは既に影もない。
無事にペシャワールのディーンズホテルに着いた。
取材ノートの最後に
「神様、ありがとう」
と書いてある。(本稿は老友新聞本紙2020年2月号に掲載した当時のものです)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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