コラム
郷愁の香港
(本稿は老友新聞本紙2020年1月号に掲載した当時のものです)
香港はどうなるのか。
そして親しくしてくれた友人達は……。
かつて第二次世界大戦ですべてを失った人たちは「返還」によって再びすべてを失おうとしている。
いつか返還という日が来ることを充分わかっていても、香港を選ばなければならなかった日々。
それは1997年7月1日をして少しずつ残りの日が迫っていた。
私の友人の祖父母達は、自分達が努力して築いたもののすべてを上海に残したまま、香港へ移住した。
今再び香港に移住した人たちは、すべての財産を残したまま、香港を後にしようとしている。Tさんは、サンフランシスコへ。Sさんはオーストラリアへ。Fさんは娘さんのいるロスアンゼルスへ。
もちろん国家の指示があるわけではなし、小さな予測と判断で、後の人生を決めなければならない。
Sさん……スーさん達のグループは、太平洋戦争後、上海から香港へ移住した人たちで、私達も上海に住んでいたので、とくに親しかった。
スーさんは香港で成功した人で、銀行、百貨店、旅行会社とを経営し、裕福な暮らしだった。
私達ファミリーは上海で暮らしていたので、とくに私達を楽しませてくれた。母と二人で何度も香港への小さな旅を楽しんだ。
香港への旅は、もちろん美味しいもの、ブランドの服やバッグも魅力的だったけれど、香港の町の賑わいやどよめき、赤い看板など、上海での暮らしが蘇る郷愁の旅だった。
イギリスから、やがて返還されようとする街の賑わいは、相変わらずのさわがしさ。朝から飲茶(ヤムチャ)で、スーさんと友達何人かが合流するので、朝から美味を堪能した。
九龍の一流店やホテルのレストラン、どこも贅沢な美味を楽しんだ。
料理、飲茶、スイーツのいずれも、上流の人たちの欲望を満たしていた。
四川・北京・潮州・広東料理。そして豊かな話題。話題の最後はイギリスからの返還の不安だった。
私の大好きな香港。今度は民主化を叫ぶ人達の暴動の映像。
返還されれば、暫くは来られない。スーさん達のいない香港なんて、来てもつまらない。
私はネーザンロードの入り組んだ道の奥にある骨董屋さんで傘立てを選んだ。陶器の、高さ70センチ、全体に清朝の宮廷の像が、黒字に茶色で全体に絵が書いてあった。
スイーツのお店もいろいろ連れていってもらった。なかでもパンケーキのお店が美味しかった。薄いパンケーキにオレンジの薄切りが包んであった。そして超美味しい蜂蜜のたれ。
1997年12月。香港から大きな荷物が届いた。まぎれもない香港からの荷物。あの傘立てだ。
スーさんはもういない。天国だ。TさんもFさんも新しい居場所へ旅立った。
香港を楽しんだ仲間達は、それぞれの地に新しい暮らしをしているのか。もう、私を引き寄せてくれた街の楽しみは消えてしまった。
我が家の玄関の土間に傘立が寂しげにポツンと残った。
(本稿は老友新聞本紙2020年1月号に掲載した当時のものです)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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