コラム
身軽になるということ~「人生の後始末」のやり方
Y子さんがやって来た。勿論、車椅子で。
Y子さんの妹から聞いていたものの、2年ぶりに出逢ったY子さんは、元気でおしゃべりなY子さんではなかった。
「こんにちは。よう来てくれたねー」
Y子さんは、窓側のテレビを見たまま、一点を凝視したまま動かない。
「寒かった?」
返事はない。
妹さんがこう言った。
「仲良くしてもろて、ごはんも連れてってもろて、喜んでましたのに……変わるんですなあ」
もう何を言っても返答はないし、返す言葉もない。
クラスメイトの人数は減ってくるし、同窓会の出席も減ってくる。妹さんは
「お話も出来ひんし、恥ずかしいですわ」
「何心配してるの。恥ずかしいことではないわ」
みんなの上に関わってくる「老い」というものは、恥ずかしいことではない。それより、私みたいに何の準備も出来ていない方が恥ずかしい。人生の後片付けをしないで
「あと始末してやー」
では、身内や親兄弟に迷惑をかけるはずだ。
人生の後始末のやり方は、いろんな形がある。大きな家、庭付きの家、2階建ては大きすぎる。お荷物になるのは確かだ。箱が大きければ、入れるものも多くなる。
B子さんの家は、築40年経った日本の典型的な平屋だった。共に80代の二人暮らし。
B子さんは元気で、きもの教室の一支部を持ち、きものの着付指導をしていた。
六畳程の庭には、四季を通じて胡蝶蘭など季節の花や草が二人を慰めていた。
平成20年に入った頃、B子さんの借家の大家から、老朽化のため全部建て直すので出てほしいと言ってきたそうだ。小さな木造の家は、たしかに脆かった。雨は漏る、台風で倒れかけた。風呂も旧式で不便だった。
でも、手慣れて住んだ我が家。新しい家を探して歩いた去年の夏、30年住んだ旧家を変える程の魅力のあるものはなかったそうだ。
身軽になることは、理屈では分かっていても、現実味がない。でも、女優の高峰秀子さんも、有馬稲子さんも、必要最低限の衣服、生活用具を残して処分なさって身軽になられたそうだ。
たしかに、B子さんの家も日常的に必要なものばかりではない。特に、きもの教室の講師になってからは、タンスが一本ふえたという。考えてみれば、その分、部屋が狭くなったのだ。
引っ越しによる環境の変化は、徐々にB子さんの日常生活を変えつつあった。
「マンション暮らしなんて!」
「7Fなんて!」
でも駅に続く道は3分。雨の日も傘は不要だ。
Bさん夫婦は40年馴染んだ家を離れることになった。駅前のマンションの7F。最後のタンスも不要になった。息子夫婦の応援も得て、身軽になってゆく。
大正生まれ、昭和の初めの時代。「もったいない」のひとことに縛られて、「捨てない」という美徳に縛られていた。しかし身軽になることは、身も心も軽くなる。
「何故もっと早く、引っ越さなかったのか」
B子さんは身軽になって、笑顔が増えた。身軽になることは、同時に健康になるという事だ。
(本稿は老友新聞本紙2019年5月号に掲載した当時のものです)
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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