コラム
天皇皇后両陛下パラオ訪問…時を超える日本人の魂<市田ひろみ連載3>
今年、4月8日。太平洋戦争の犠牲者を追悼するため、天皇、皇后両陛下がパラオに行かれた。
戦後70年。ご高齢ながら、地理的にも遠い、交通手段も決して便利とは言い難いところを訪ねられた。
「この美しい島に悲しい思い出があることを忘れてはいけない」と……。
3千キロの地に、日本から白い菊の花を持参して手向けられた。
日本の犠牲者のみならず、太平洋戦争で亡くなった日米双方の魂に手をあわせられた。
日本が繁栄して来たその陰で、自らの生命を国にささげた人のことを忘れてはいけない。
遺族や戦友会などとともに、日本の若者達もボランティアで協力して遺骨収集に働いている。
JYMA 日本青年遺骨収集団では、サイパン、ガダルカナル、ペリリュー島など、遺骨収容・調査に働いてくれている若者達がいる。
私は「遺烈」という機関紙を読みながら、遺族が高齢化、少数化するなかで、この若者達の貢献に感謝している。
70年を迎えて、両陛下の南太平洋への訪問は大きな意味を持つものだった。
深々と頭を下げられたお姿に胸があつくなった。
さて、京都は暑い夏を迎えているが、若者達に京都観光はきもので、という楽しみ方があって、きもの姿の人が、ゆかたであれ、小紋であれ、新しい流行が生まれた。
運転手さんは、
「やっぱり日本人はきものが似合いまっせ」
と息が弾んだ。
昨日、ドイツから里帰りで京都へ来られた方の、観光のお手伝いをしました。
池坊の会で来ました。ドイツ人のご主人が亡くなられて、京都で研修会があるので久しぶりに帰って来て、大徳寺、大仙院へ御案内しました……と。
「若い頃、京都のきものの先生が、ドイツできものショーをなさった時、モデルにかり出されて、池坊の生徒がきものショーに出演したって言うてはりました」
「えーー?」
私は絶句した。
「私がしたんですよ」
1984年(昭和59年)ドイツのブレーメンとオルデンブルグで、きもの作家の和田光正氏ときものショーをした時、池坊ドイツ支部にモデルを依頼した。
20名の池坊のモデルの協力を得て、きものショーは大拍手のうちに終った。そのモデルの中に、ポイントナー・小茂田さんがおられたのだ。
現在、池坊ドイツ支部の支部長として活躍中だ。
今から31年も前の話だ。
私は世界の107都市できものショーやパレードや、パーティーなどの文化交流にかかわって来た。
まさに30年も前といえば、一人ずつカセットテープでモデリングという程度だったと思うが、それでも博物館のロビーは暖かい拍手でわいた。
ブラジル修交100年。メキシコ日本人移民100年。カナダ移民100年など……。
移民、二世、三世は、きものを通して、ふるさと日本への思いをはせているのだろう。
大抵、ハンカチで涙をふきながら、きものショーを見ておられる。
私達のショーはイベントに参加して、ショーにも出演するという形だ。
源氏物語を語りつつ、十二単を着付けたり、花嫁ショーをしたり、その間に私は衣装文化の語り部となった。
時間をこえて、語りつづけるものこそ、日本人の魂を宿しているものだと思う。
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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