コラム
小さな約束でも必ず守る…世界を巡り改めて感じる伝え残したいもの <市田ひろみ 連載14>
私のいくつかの仕事の中に、世界の民族衣装の研究がある。
初めてのヨーロッパの旅は、1968年。11ヶ国、40日間の旅だった。
まだまだ日本人旅行者と出会うことなく、添乗員という便利なシステムも無かった。
半世紀に及ぶきものの仕事の延長線上に、それぞれの民族の固有の衣装の存在があった。
地図に名前の載っていない小さな村に、おどろく程緻密な手仕事が宿っている。
3ヶ月、12ヶ月と、伝統の文様を針と糸に宿し、根気よく正確に縫いあげてゆく。
現在のような充分な情報もなく、指導してくれる指導者もいなかった。
織る、刺繍する、染めるなどの工芸は、実は世界中の女達が親から子へと伝えられて来たもので、
日本のきものも、こまやかな手仕事として伝えられている。
1968年の最初の旅でも、ヨーロッパの田舎では伝統的な民族服で、農場で働いている女達がいた。
この50年の間に、地続きのヨーロッパでは、いろんなことがあった。
私の訪ねた、かつてのユーゴスラビアも、今はそれぞれ独立した。
セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツゴビナ、スロベニア、マケドニア、モンテネグロと、6つの小国となった。
1968年の取材は、ベオグラードからアドリア海沿岸のドブロブニクに行くことにした。
首都ベオグラードから、舗装されていない小さな道を西へ。4月とはいえ、まだ雪が残っている。
私の手法のひとつに、田舎の大きな家を訪ねるというのがある。日本でもそうだが、田舎の旧家には、婚礼衣装が残っていたりする。
そこへ、自転車に乗った郵便配達の人が来た。おじさんは、あの森のむこうに大きな家があって、衣装を持っているかもしれないと。
雪どけの畦道を、足をとられながらその家にむかった。
フアルカス・ジューラさんの家だ。ジューラおじさんは、よく来たと迎え入れてくれた。
部屋の中には、刺繍の美しいテーブルクロスやカーテン、ベッドカバーなど。マラディク村の伝統文様があふれている。
手作りのワインやじゃがいもを勧めながら、小さなコースターをわけてもらった。
「我が家に日本人が来てくれたなんて、すごいことだ。日本は大成功をおさめた国だ。さあ、私たちは大したことは出来ないが、玉葱の酢漬けはうまいかね」
凍りついたガラス窓に、御近所さんが顔をひっつけて、部屋の中の私達を見ていた。
「日本は戦争で被害を受けたけど、まじめに努力して、世界をリードする国になったんだ」
「日本の教育が良いんだよ」
私達は、干しりんごのおやつを頂いて、ホテルへ帰った。
「明日、また来ますからねー」
あくる日。私達はいくつかのおみやげを持って、ジューラおじさんの家へお礼にゆくことになった。
また、あの雪どけの泥田の畦道を、1時間歩いてジューラおじさんの家へ行った。
おじさんはびっくりして、
「また来てくれたのか。日本人はなんて約束を守る民族なんだ。さあさ、入ってお茶をしよう。
ゆかたや風呂敷や鮭缶やら。おじさんは
「もう来ないと思っていたのに、日本人は小さな約束を守るんだ。だから立派な国になったんだ」
とごきげんだ。
48年も前のことだ。雪の畦道と、もてなしの料理。一家はどうしているだろうか。
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- 市田 ひろみ
- 服飾評論家
重役秘書としてのOLをスタートに女優、美容師などを経て、現在は服飾評論家、エッセイスト、日本和装師会会長を務める。
書家としても活躍。講演会で日本中を駆けめぐるかたわら、世界の民族衣装を求めて膨大なコレクションを持ち、日本各地で展覧会を催す。
テレビCMの〝お茶のおばさん〟としても親しまれACC全日本CMフェスティバル賞を受賞。二〇〇一年厚生労働大臣より着付技術において「卓越技能者表彰」を授章。
二〇〇八年七月、G8洞爺湖サミット配偶者プログラムでは詩書と源氏物語を語り、十二単の着付を披露する。
現在、京都市観光協会副会長を務める。
テレビ朝日「京都迷宮案内」で女将役、NHK「おしゃれ工房」などテレビ出演多数。
著書多数。講演活動で活躍。海外文化交流も一〇六都市におよぶ。
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