コラム
玉木正之のスポーツ博覧会
スポーツ政策もイベントに頼らずSDGsを考えるべし!
コロナ禍で今年9~10月の開催が中止された三重県の「三重とこわか国体」は、延期開催が考えられていたが、9月下旬、延期大会も中止が決定した。昨年も鹿児島国体が中止。しかし、23年に延期開催となり、国民体育大会の完全中止は1946年の第1回大会以降初となった。
理由は金銭事情。延期開催には約180億円の追加経費が必要とされ、既に出費した約3千400万円や国の補助金約16億円を無駄にしても、開催中止が得策と判断されたのだ。
が、コロナとは関係なく、そもそも国民体育大会は開催する価値があるのだろうか?
第2次大戦後、荒廃した国土と日本人の心を元気付けるため始まった国体は、87年沖縄県の「海邦国体」ですべての県を回り終え、「国体は役割を終了した」と不要論や廃止論が唱えられた。NHKの『クローズアップ現代』には小生もゲスト解説に呼ばれて、「国体の役割終了」と主張した。
その時の放送は番組史上最低の視聴率を記録。日本人の国体への関心の低さも露呈された。が、文部省は国体の継続開催を決定。3年後の24年佐賀大会からは「国民スポーツ大会」と名称を変更。開催中止にした三重県を除く「全県2巡目の大会開催達成」となる34年島根大会まで既に毎年の開催地が決まっている。
大会を開催すれば競技場の建設や補修、周辺道路の整備など公共事業も活発になり、全国から大勢の人も集まって開催県は経済的に潤うとも言われる。そうしたイベント中心の経済活性は一過性のもので、大赤字の危険性もある。それが今年の三重国体中止や東京五輪で証明されたのだ。
スポーツもイベントに頼らず、地域社会で育てるスポーツクラブなど、スポーツ政策もSDGs(持続可能な開発目標)を考えるべきだ。
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