コラム
玉木正之のスポーツ博覧会
東京2020の聖火リレーはこれでいいのか?
今夏の東京五輪が開催できるかどうかはわからないまま福島県Jビレッジで行われた出発式の様子をテレビで見て少々ガッカリした。
その放送がBS1だったことにまずガッカリ。衛星放送が地上波よりワンランク下とは言えないが、通常の人気番組を変更してまで放送する価値がないように思われた。
しかも五輪大臣、組織委会長、東京都・福島県両知事のあいさつに手話通訳が付かなかった。これは組織委のミスか?
それに「みやぎ絆大使」のサンドウィッチマンが聖火を手に現れ、「森さんはいないの?」とギャグを一言。聖火の出発式の儀式の場は、女性差別発言で失脚した前組織委会長をギャグのネタにして笑いをとる程度の場なのか?
そのうえリレーの第1走者を務めたなでしこジャパンの世界一メンバーたちは、笑顔を振りまきながら走るというよりジョギングより遅いスピードで、ほとんど歩き出した。それも、ほんの短い距離でアッという間に次の走者へ。
続く走者たちも走る距離は短く(200m)、ごく軽いジョギング程度で、コースも途切れ途切れ。東京まで聖火を運ぶ「リレー」ではなく、まるで聖火のお披露目だった。
1964年の東京五輪は違った。スポーツ少年団から選抜された中高生の若者たちが10人の伴走者や副走者を従えて、太平洋側と日本海側のルートを沖縄・鹿児島から北へ、北海道から南へ、4つのコースに分かれ、相当のスピードで各人約1.5kmの距離を走り、聖火を東京へとつないだ。
その力強い姿は、悲惨な敗戦から立ち直った日本の(若者たちの)姿を象徴していた。
それから約半世紀後の聖火リレーからは、震災と原発事故からの復興やコロナに打ち勝つ力強さは感じられなかった。これでいいのだろうか?
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