コラム
第3回 山中城<敵を奔走させた畝堀、堀障子>
所在地=静岡県三島市山中新田
種類=山城
城というと時代劇に出てくるような立派な天守閣がそびえている城を想像しますが、武将の知恵と工夫が詰まり、ロマンあふれる中世の山城好きな私。今回は山城の第一弾として静岡県にある「山中城」をご紹介いたします。
山城とは山全体を改造して作るのが基本です。よくイメージされる城の城壁は石垣ですが、山城の城壁は「土塁」といわれ、土を盛ったものです。山の断崖絶壁や周囲の川などの地形を巧みに利用して作り上げます。
山城の特徴はなんといっても「空堀」です。山城入門、はじめの一歩はまず山中城の「堀障子」。ここに実際行かれると、山城の楽しさに魅せられること間違いなし!
堀を障子の桟のように縦横に仕切った、ちょうどワッフルのような堀です。なぜこの様な作りになっているのかというと、敵の縦横の動きを制約すること、敵を狙い撃ちできて相手の動きを封じることが目的です。この障子堀にはまったら、障害物競争よろしくアップダウンの底抜け脱線ゲームです。また当時の堀障子はもっと深く、さらに辺りの土は関東ローム層なので滑りやすく、そう簡単にはよじ登れません。当然、甲冑を身に付けているのですから、相当な体力の消耗になったはずです。
その土地の地形、地質までも味方につけた堀障子は、小田原城を本城とした後北条氏の城に多く見られるもので、その築城技術はとても巧妙で複雑な軍事施設を完成させました。
山中城は小田原城の支城の一つで、1650年代頃に北条氏康が築いた城です。全国制覇の豊臣軍に攻め込まれ、堀や土塁を増設しましたがままならず、難攻不落と言われた後北条の城もわずか半日で落城。後北条軍勢約4千、豊臣軍勢約7万。豊臣の力量にはなすすべもなく、北条氏は滅亡の道を辿ったのです。
この城の見どころは、国道一号線を挟んで一の堀の畝堀と、その反対側にある三の丸、二の丸と、その奥の西の丸北の丸に分かれています。
西の丸の巨大畝堀は感動的で、天気の良い日は富士山が眺められて絶景です。足を進めていくと本丸、二の丸辺りにも畝堀、堀障子があり、敵を奔走するための縄張りを実感できます。
後北条氏の知恵の結集でもあるこの城の堀障子は、後に築かれた秀吉の大阪城からも発見されており、秀吉さえも取り入れた山中城の秀逸さを物語っています。天守を見ないと城に行った気がしないと感じる方も多いかと思いますが、この城は山城の魅力を今に伝え、戦国の空気を体感できる場所だと思います。
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