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2018年11月21日

第30回「七尾城」~大規模な石垣群!尾根に無数の砦を配した難攻不落、堅固な山城

所在地=石川県七尾市古屋敷町夕部8―1

種類=平山城

別名=松尾城・末尾城

 

七尾城は、能登守護畠山氏の居城で戦国時代の前期に築かれた日本五大山城の一つに数えられ、標高約300メートルの石動山系の北側にあり七尾湾が一望でき、この城を畠山氏から奪い取った上杉謙信はその眺めの素晴らしさに感嘆したといわれています。

「七尾」という名前は、松尾、竹尾、梅雄、菊尾、亀尾、虎尾、鶴尾という「七つの尾根」から由来しています。別名の「松尾城」「末尾城」というのは、城が七つの尾根のうち松尾に築かれたからです。大小幾筋も枝分かれしている尾根に、無数の砦を配置した難攻不落で堅固な山城です。

城の遺構の特徴は大規模な石垣がそのまま残っていることでしょう。おそらく中世山城としては最大だと思われます。この石垣は2メートル程の低い自然石を利用した野面積で高石垣ではないものの、数段に積み上げることによって高石垣の役目を果たしています。このことから、当時はまだ高い石垣を組む技術が無かったことが解るのですが、これだけ石垣を多用する城は大変珍しく、石垣が積まれたのは1540年以前と考えられているので、かなり早い時期から畠山氏は石垣を積む技術を持っていたことになります。

城域は本丸、二の丸、三の丸。ここまでが主要曲輪で重要な箇所には全て石垣が積まれています。本丸、二の丸の土塁、空堀は、破壊されることなくほとんどが当時のままで城跡が保存されています。これは大きな見どころでしょう。その他には西の丸、調度丸、遊佐屋敷、温井屋敷、桜の馬場と言われる曲輪群は、山麓に延びた低い尾根の先まで広がっています。

もともとこの城には天守は無かったと考えられており、天守台のようなものも見当たりません。つまり建造物は何も残って無いのですが、とにかく現存の見事な石垣と、七尾湾の一望を体感していただきたいです。

七尾城の城下町である七尾は、都から貴族も転居してくるなど小京都と呼ばれ、今も風情のある街並みで、昔からの名店が数多く残っています。「松林図屏風」で有名な長谷川等伯は七尾の人です。そして、隣町は名湯「和倉温泉」旅の疲れを癒すには最適です。秋の行楽には、温泉付きの七尾城は最適だと思います。(老友新聞社)

 

 

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