コラム
第19回 「八王子城」~関東屈指の山城。自刃の血で滝が真っ赤に染まったとの伝説も
所在地=東京都八王子市
種類=山城
東京から車で1時間もあれば行ける八王子城は、標高445mの深沢山に築城された山城です。多くの曲輪が設けられ、要害地区と居館地区に分けることが出来ます。
東京だからといってあなどれません。要害地区は山頂まで軽登山のようなので、是非スニーカー等でお出かけください。表題の写真は9合目からの眺めで、都内が一望できます。
八王子城は関東の西に位置して軍事上の拠点とされていました。北条氏が治めていた小田原城の支城で、八王子城と名付けられたのは、延喜13年(913年)に華厳菩薩妙行が頂上で修行中に牛頭天皇と八人の王子が現れたというので、この城の山頂に八王子権現を祀ったことが由来です。
深沢山の近くを流れる浅川と南浅川の源流部には、和田峠と小仏峠があり、甲府盆地から相模川流域を経て関東山地を超える時のちょうど要所になっており、武田信玄が関東平野を攻める際に進軍するルートと想定される場所に位置しています。
八王子城は山頂部に本丸跡があり、曲輪は戦闘時に有利なように尾根筋に配置されています。本丸跡からは瓦が一枚も発掘されていないことから、本丸は板葺き屋根の木像建築だったことが推定されています。
居館地区は山麓の削平地につくられ、家臣団の居住地は城山川に沿って広がり、城山川流路には、不自然な屈曲部がいくつかあり、これは敵を足止めして攻撃する時間を稼ぐために、人為的に造られたという説もあります。
八王子城は天下統一を図る豊臣秀吉の軍勢に加勢した、上杉景勝、前田利家、真田昌幸の軍に攻められ一日で落城となりました。城内にいた婦女子は自刃、御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩血に染まったとの言い伝えも残っています。
要害地区の軽登山と居館地区の復元された橋や大手門跡の当時の現存石垣など、スケールが大きく物語を肌で感じることの出来る城です。歩いている途中にはコラムが書かれている立て看板があるので、歴史を学びながら山頂へと辿り着け、九合目には都内を一望出来る見晴らしの良い場所もあり歴史と自然の両方を楽しめる史跡です。
(老友新聞社)
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