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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2025年02月18日

連載26 おフランスのおパリ

20代の頃、フランスのファッション雑誌が大流行。毎月、毎月、毎月、近所の本屋さんに取り寄せてもらい、夢中だった。だから私達20代の娘達は、きどって「お」をつけた。ゆっくり読んでみて! おフランス。おパリ。ほら、なんとなく、フランス語みたいで、おしゃれでしょ。

無我夢中の真っ最中、なんと、あのおフランスへ。あのおパリへ行く仕事の依頼が来た。大阪の朝日毛糸さんが、見本帳のニットのモデルにとのことだった。羽田から、パン・アメリカン航空の世界一周便、南まわりで出発。各駅停車だったので、タイペイ、ホンコン、シンガポール、バンコクと、3~4時間飛んでは、飛行場で給油のため降りなければならない。トランジットだ。そして再び離陸。そのつど食事が出て、食いしん坊の私も、さすがにパンパン。

いよいよ最初の目的地、レバノンのベイルートへ降り立った。アラジンかアリババかアラビアのローレンスか、と、まるで外国映画を見ているかのような街に、すっかり酔いしれてしまった。もちろん、エキゾチックな街でもニットの撮影をしたが、レンタカーを借りて、遺跡にも撮影に行った。絵本で見た「ブルータス、おまえもか」のまんまの遺跡が目の前に広がっている。地学が大好きな私、大きく夢が広がった。

あ、レンタカーの運転は、外国生活に慣れているカメラマンさんだ。撮影が済んでの帰り道。雨が降ってきたが、なんとワイパーが壊れてる。とっさに男性群、ズボンのベルトをはずしてワイパーにくくりつけ、左右の窓から引っ張りっこして、ワイパーを動かした。すごい。

ベイルートの撮影を終え、再び世界一周便へ。「見よ、あれがパリの灯だ」の、あの、おフランスのおパリに到着した。おパリの町は、ファッション雑誌で見てたまんまの街だ。エッフェル塔、凱旋門、カフェ、すごい。興奮しまくっての撮影となった。

思いがけず撮影が順調で、帰りの便まで2日の余裕ができた。知人の熊田さんがパリ支局の特派員で、家族で住んでいたので、さっそく電話。なんと、お願いしていた、岸恵子さんにお逢いできることになった。松竹映画『風花』で、私10歳の時に共演。折角のおパリ。どうしてもお目にかかりたかった。

岸さんのお宅は、街中のアパートメントで、お部屋はメゾネットタイプ。絵に書いたようなメイドさんがいて、岸さんが出迎えてくれた。あまりのうれしさに声が出ない。記念写真を撮ったりして気を静めたが、無理。何をお話ししたか、記憶がない。ただ、ただ、岸さんの美しさ、やさしく華やかな笑顔が、脳に焼きついた。その夜は、大好きなフレンチカンカンの舞台を拝見、さすが本場。見事なスカートさばきだった。

翌日は、熊田さん一家にワラビ穫りに誘われて、フォンテンブローの森へ。なんと、ワラビがいっぱい。フランス人は、まったく食べないらしい。山菜穫りが大好きな母と私は、夢中になってワラビを穫った。両手でかかえきれないほどのワラビをゲット。昼食は、森の中のレストラン。「ひばりの脳味噌」というテリーヌを食べた。うまい。あの味、もう一度食べたい。

夜は、熊田さんのフランス人の友人宅で、夕食をごちそうになる。おいしい家庭料理をいただき、満腹。食後は、ご主人のアコーデオンの演奏で、奥さまがシャンソンを歌って下さった。奥さま「マコ、カブキダンスが見たいわ」えーーー。着物は着ているが、御存じ、日本舞踊がからっきしダメ。でも、なんとなく、無理とは言えない雰囲気。エーイ、ままよ。『東京音頭』を歌って踊って、ごまかしてしまった。まことに、なんとも、おはずかしい。日本の女優として、なんという赤っ恥。あこがれのおフランスで。花の都おパリで『東京音頭』とは。せめて『さくらさくら』ぐらい、あざやかに踊れれば。なさけない。ショボン。じゃあ、またね。

 

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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