コラム
マコのよもやま話 | 和泉 雅子
連載24 京マチ子さん
テレビドラマに出演するようになり、多彩な俳優さんと共演できた。他社の映画俳優さん、歌舞伎役者さん、新劇やテレビ育ちの方、歌手やスポーツ界の方、落語や万才の方。台本をいただくたびに、どなたと共演できるのかしらん、とワクワクだった。
ついに、あの、京マチ子さんとの共演が決定。関西のABCテレビ制作『嫁ふたり』。鹿児島の旧家へ同時に嫁ぐ、嫁ふたりの物語。京さんは難波(なにわ)っ子のお嫁さん。私は江戸っ子のお嫁さん。もうこれだけで、ドラマが始まっちゃうでしょ。
実は京さん、OSKの出身です。松竹少女歌劇団で、大阪はOSK、東京はSKDと呼んだ。子供の頃からダンシングチームが大好きで、泰明小学校のお向かいにある日劇のダンシングチームは、夢中で見た。ショーの合間にコントがあり、渥美ちゃん(渥美清さん)と谷村さん(谷村昌彦さん)が出演していて、我が家に食事に来て親しかったので、楽屋に入りびたり。お得意の只見をしていた。
SKDは、私をスカウトしてくれた、ターキーさん(水の江瀧子さん)が、第一期生だ。阿部ちゃん(阿部修さん)の奥さまのミカおばちゃんもSKD。浅草の国際劇場に、阿部ちゃんがしょっちゅう連れてってくれた。
大きくなってもSKD通い。歌の上手な倍賞千恵子さん、踊りの上手な倍賞美津子さんが印象に残っている。
OSKはなかなか見る機会がなかったが、つい最近、銀座の新橋演舞場で、『春のおどり』を見た。全員が作品にむかって、一生懸命踊っている姿に感動。踊りのレベルも高く、クラシックバレエから、パリオリンピック種目になったブレイキンまで、すべてが完璧で鮮やか。大好きなラインダンスもお見事。すっかり魅了された。この舞台を見て、大先輩の京マチ子さんは、まさに、OSKそのものだ、としみじみ思った。
京さんはリハーサルも熱心。決して手を抜かない。本番の収録も熱心。私のように、あちこちでおしゃべりをせず、役に没頭している。どんな人にも腰が低く、何時間待たされても静かに待ち、おっとりしている。その後、舞台での共演も多く、長いお付き合いをさせていただいた。スタッフも出演者も、全員京さんの大ファン。
京さんは決して前には出たがらないが、まわりが京さんを前に出す。まさに、これ、OSKの精神なのかしらん。と、OSKの舞台を見て、京さんと重なり、京さんを想い、心がホーッと、あたたまった。
エヘッ、京さんの舞台での、私の大失敗を告白しまーす。江戸時代の踊りの師匠と歌舞伎役者の恋物語。私は京さんの内弟子役。あやしげな男を近づけまいと、寝ずの番。朝になり、やっぱり居眠り。舟を漕いでいる。大きな舟でバタリと前のめりになり目が覚める、というお芝居。
ある日、手に持っていた心張り棒の先が、かつらの襟足の地金に当たってしまい、大きな舟の勢いで、かつらがポンと前に飛んでいってしまった。あわてた私、かつらにスライディング。両手でグッと頭に押し込めた。かつらの位置はめちゃくちゃ。顔とかつらの間のアミはぐちゃぐちゃ。でも、お芝居をやめるわけにはいかない。お客様にお尻を向けての演技となった。そこへ、京さん登場。二人でしばらくのやりとり。かつらがおかしいのは、運よくお客様には見えない。が、京さんからは、丸見え。京さんは、絶対にアドリブや勝手なお芝居をしないことで有名だが、さすがに私のかつらを見て、びみょーな顔。裏に引っ込んだタイミングで、かつらさんに直していただき、なんとか、なんとか、無事に芝居を終えた。
きっと怒ってる。きっと叱られる。と終演後「京さん、ごめんなさい」「フーン、あんた、なんか、かつらがおかしかったなあ」と、たった、ひとこと、それだけ。
さすが、グランプリ女優。さすが器がちがう。ねえ、京マチ子さんて、素敵でしょう。大ファンになったでしょう。じゃあ、またね。
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- 和泉 雅子
- 女優 冒険家
- 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。 - 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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