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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2024年08月22日

連載23 はたちの扉

倉庫のお片しを始めたとたん、なつかしい台本が出てきた。『誕生日おめでとう マコちゃんとファンの集い』昭和42年7月29日 サンケイホール。日活と東芝レコード共催。なんと、はたちの記念コンサートの台本だ。構成演出は渋谷森久さん(レコードのデレクターさん)音楽監督・編曲・指揮が川口っちゃん(川口真さん)司会は栗原玲児さん。来場するファンの皆さんは、平凡と明星のご協力で、往復はがきで応募。開演は夕方なのに、すでにファンがいっぱい。うれしい。ところが来場前に、マンホールの蓋が吹っ飛ぶほどの大雨。オロオロしたが、皆雨宿りをして、無事とのこと。ほっとする。

いよいよ開演。幕が上がると客席いっぱいの、ファンの拍手に迎えられた。実は、誕生日は31日、月曜日。そこで、土曜日の29日になったというわけ。さて、第一部は、まったく個人的なお家芸。私の生まれ育ちを浪曲で自己紹介。我が家は、歌謡曲か浪曲が当たり前。座敷箒を三味線にみたて「ヨーオ ペンペン」なんてやっていた。ビートルズに夢中になると、父はご機嫌ななめで「あちゃらかの曲は聞くな」だから、あちゃらかの曲は、こっそり聞いた。

さて、次の個人的お家芸はタップダンス。栗原さんに「これ、なーんて曲だ」とクイズ形式。『チョウチョ』や『二人の銀座』などをタップで踏んだが、全問不正解だった。次はお琴。『さくらさくら』を演奏した。銀座の子は、習い事をするのが当たり前。一番人気は、清元。次にお琴・長唄・日本舞踊と、なにかしら習い事をしていた。才能はなかったが、お琴はどうにか、だった。

そして、いよいよ歌。中学一年生の頃から『ウエスト・サイド・ストーリー』『サウンド・オブ・ミュージック』『メリー・ポピンズ』などのミュージカル映画が大好きだったので、ケンちゃん(山内賢さん)にお願いして、歌とお芝居とダンスのミュージカルで、ヒット曲を歌った。ナタリ・ウッドかジュリー・アンドリュースになったような気分だった。最高。

第二部は、ゲストコーナー。オーケストラの前に、テーブルと椅子を置き、パーティーのような雰囲気でスタート。ゲストは、ケンちゃん・浜やん(浜田光夫さん)、渡君(渡哲也さん)、高橋君(高橋英樹さん)、チーちゃん(松原智恵子さん)、チヨちゃん(奥村チヨさん)、トモ子ちゃん(恵トモ子さん)、九ちゃん(坂本九さん)そして、ベンチャーズの声のメッセージ。大好きなメンバーに囲まれて、最高のバースデーだった。

翌日、新聞に音楽評論家の記事が掲載。「下手な歌を堂々と歌う和泉におどろいた。しかし、オーケストラのメンバーに目を見張った。一流の演奏者ばかりなのである」と書かれていた。しみじみ「本当だよね」と感謝。

いよいよ、1月31日。はたちの扉の日。朝からドキドキ過ごしたが、昨日となんら変わりがなかった。ちょっぴり、がっかり。

成人式は残念ながら、川崎の映画館からの依頼があり、川崎市の成人式で『歌う日活スター』のステージだった。そこでフジテレビが、お昼の生番組で、ジュリー(沢田研二さん)と森君(森進一さん)と布施君(布施明さん)と私を招待してくれた。なんと、テレビ成人式をやってくれたのである。仲良しとの成人式。ちょっぴり、うれしかった。

実は、高校の事だが、学校側から「18歳で卒業だと、アルバムには参加できるが、卒業証書が出ない」という。「じゃあ、どうすればいいんですか」「あと2年がんばって通学すれば、卒業証書を出します」と、いうわけで、高校五年生。はたちで高校を卒業した。勉強終了。うれしくって、背中に羽根が生えたようだった。これが、はたちの扉なのかしらん、と、うかれまくった。

女優の仕事も、映画の世界から、テレビドラマの世界へと、旅だった。はて、はたちの扉。これからの私。何が待っているのかしらん、と、わくわく。じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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