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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2024年07月25日

連載22 若さまと小雪

19歳の時『絶唱』と出逢った。初代は、アキラさん(小林旭さん)とルリちゃん(浅丘ルリ子さん)で、まだ白黒映画だった。二代目が、舟木君(舟木一夫さん)と私で、カラー映画だった。三代目が、三浦君(三浦友和さん)と百恵ちゃん(山口百恵さん)だ。

撮影開始二か月前、西河克己監督に呼ばれた。「マー坊、その顔中いっぱいのニキビを、治す気ある。それと、風が吹いたら倒れそうなほど、やせる気ある。もし、それができたら絶唱の小雪をやってほしい」急にそんなこと言われても、と思いながら「はーい」と返事をしてしまった。

日活が、秋葉原にあるニキビ治療専門の北原美容院を探してくれた。毎日通ったが、痛くて痛くて、いっぱい涙が出た。お陰様で、あんなにあったニキビが二か月できれいになった。クリア! さて、難問の痩せること。これは、食べ物だ。少食にして、油は一切摂らない。バカ食いしない。お蔭でペソペソになったが、見事に8キロ痩せた。クリア!

この物語は、大地主の息子と、山番の娘が恋に落ち、ひっそりと町で新婚生活を送る。若さまに召集令状が。同じ時間に“こびき唄”を歌う約束をして送り出す。ところが小雪、大病にかかってしまう。あわやという時に若さまが帰ってきて、死の寸前に再開。小雪。死す。若さまは家にもどり、死んだ小雪に花嫁衣装を着せ、結婚式。この結婚式が大問題だった。いつものごとく、死体役は、気楽で大好き。積み上げた布団をせもたれに、死んでいるだけ。

さて、舟木君が村人達に、長ぜりふで挨拶する重要なシーン。テスト、スタート!長ぜりふが始まった。正にその時、私「グワー」と大いびき。スタッフに起こされ、びっくり。しまった。寝てしまった。舟木君は笑うしかなかったのである。舟木君、ごめんね。この作品、舟木君がどうしても映画にしたくて日活に談判したとか。日活は、こんな暗い映画ダメだと言ったとか。ヒットしなかったら次の作品はノーギャラで出ると言ったとか。

舟木君の情熱が伝わったのか、この映画が大ヒット。日本映画は一週間に二本だて。1か月で8本の映画を上映するのだが、『絶唱』は連日映画館を三重に取り巻く行列ができて、なんと、日本映画初の三週間上映となった。舟木君、ぜひ大阪の新歌舞伎座でやりたい、と日活に申し込んだ。が「マー坊は主演映画があり忙しい」と断ってしまった。これがきっかえで、舟木君とは疎遠になってしまった。

あれから、40年。なんと、銀座の新橋演舞場で、毎年12月に舟木君の公演があることがわかった。観たい! 早速二階席の真ん中の席をゲット。お芝居は、さすがどんぴちゃの声で、楽しく拝見した。休憩時間は、大好きな劇場の売店で買い物三昧。ちょっと買いすぎて、大きなレジ袋になってしまった。いよいよ次は、コンサート。5分前の合図が鳴ったので座席へ。開演を待った。突然、一階の客席から「キャー、マコちゃーん」と、劇場内が割れんばかりの大騒ぎとなった。すでに舞台にスタンバイしていた舟木君。なにごとか、とマネージャーさんに調べてもらったら、私が観ていることがわかった。すぐに、二階の私の席にマネージャーさんが飛んできて「ぜひ、舞台へ」と言う。断るのもなんだから、従った。そして、花道から舟木君のいる本舞台へ。大きな白いレジ袋を提げての登場となった。40年ぶりの再会なのに、なんとも間の抜けた様であった。これがご縁で、毎年12月は、舟木君の公演を拝見して、青春している。

ある時舟木君「今度、ごはん食べようと」とのお誘い。なかなか予定が合わなくて、三年後に実現。ホテルニューオータニの中華料理店で、大きなお部屋で二人きり。ところが、会話は最初から最後まで、観音様と仏様の話で、デート終了。フフフ、二人らしいでしょ。

さて、今年の12月は、と、ワクワクの真っ最中である。じゃあ、またね。

 

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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