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マコのよもやま話

マコのよもやま話 | 和泉 雅子

2024年06月24日

連載21 声

歌手の方はもちろん、歌舞伎役者さん、舞台俳優さん、映画俳優さん、声優さん。皆、声の仕事である。特に、歌手の方は凄い。耳が良く、声が良く、音程に優れている。その場面の、その役の声を見事に発声し、見事にこなしている。そのおかげでお客さんは、映画やお芝居やコンサートに大満足する。その代表が、やっぱりひばりちゃん(美空ひばりさん)だ。その場面も、きちんとその場に合った声を出し、観客をうっとりさせてくれる。

ひばりちゃんは、声の大天才である。日活も、石原裕次郎さん、吉永小百合さん、小林旭さん、宍戸錠さん、高橋英樹さんと、皆それぞれ個性的で独得の声を持っている。

私はというと、ご存知、大音痴。いつもピッタリの声なんか出せない。監督さんも、その声ができるまでテストを繰り返す。多くの監督さんに、声で迷惑をかけた。ちなみに、演技はどの監督さんからも誉められた。エッヘン。

アッ、もう一人、天才がいる。舟木君(舟木一夫さん)だ。『ああ青春の胸の血は』で初共演。驚いた。声の音程が良い。どの場面もピッタリの声でせりふを言う。ひばりちゃんと同じだ。天才だ。と大興奮した。舟木君と共演の2作目は『北国の街』だ。どんな場面でも、ピッタリの音程で、ドンピシャの声を出す。もうそれだけで、舟木君の演じる青年が、心やさしい思いやりいっぱいの人とわかってしまう。凄い。3作目は『高原のお嬢さん』恋人同士。うっとりするぐらいの舟木君の声に、思わず惚れてしまいそう。が、ところが、お別れの場面が、運悪く新宿駅。しかも、中央本線のホーム。それも特急「あずさ」だ。乗り鉄子は演技どころではない。うれしくって、はしゃいで、集中できない。鼻血が出そうだった。舟木君やスタッフのあきれ顔が、やけに記憶に残っている。

4本目の映画は『哀愁の夜』だ。まずい。この映画のクランクイン前に、近所にマンガ教室ができた。17才になるまで、マンガ一辺倒。こんな私がこの看板を見て、ジッとしてなんかいられない。早速習いに行った。

デズニーが大好きで、サイン色紙には、ドナルドダックやチップとデイルやバックスバニーを必ず書いていた。ぜひウオルト・デズニーさんにおめにかかり、デズニー社へセル書きで入社したい、と本気で思っていた。が、映画の撮影が忙しく、それどころではなくなった。デズニー入社はあきらめた。その途端のマンガ教室である。はりきって授業を受ける。ところが、明けても暮れても、白い彫刻のおじさんのデッサンばかり。「えっ、マンガじゃないんだ」とがっかり。それでも、いつかきっと、マンガが書けると信じて、がまんした。

ついにその日が来た。デズニーのシンデレラの一場面を模写することになった。絵の具は、日本の顔彩。筆が進む。楽しい。無我夢中。驚く程、上手に書けた。満足。さて、いよいよ4コママンガの授業。ところが、まったく才能なし。あっさり諦めて、マンガ教室をやめた。でも私、撮影所でマンガ教室の話ばかり。撮影所の全員が「マー坊は、マンガ教室に夢中」と評判になった。まさにその時、舟木君との4本目の映画『哀愁の夜』が決まった。なんと私の役が、オバQのマンガ会社の絵描き。うれしくって、天にも昇る気分。はりきって、乗りに乗って撮った作品だ。

後に舟木君「マコちゃんは、マンガに夢中で、役そっちのけ。監督と相談して、マンガ会社に勤める絵描きさんにしたんだよ」「えーー」「あんなに集中して演じているマコちゃん、初めて見た。作戦成功」「やられたあ」二人で大笑い。

でも、でも、舟木君に、俳優は声が大事だ、と教えてもらった。そして、演技に集中することも教えてもらった。そのお蔭で、永きにわたり、映画、舞台、テレビドラマで、楽しく仕事をしてこられた。本当に、声の天才、舟木君のお蔭と感謝している。舟木君、ありがとう。
アレッ、もしかして、マンガのおかげ? じゃあ、またね。

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和泉雅子
  • 和泉 雅子
  • 女優 冒険家
  • 1947年7月東京銀座に生まれる。10歳で劇団若草に入団。1961年、14歳で日活に入社。多くの映画に出演。1963年、浦山監督『非行少女』で15歳の不良少女を力演し、演技力を認められた。この映画は同年第3回モスクワ映画祭金賞を受賞し、審査委員のジャン・ギャバンに絶賛された。以後青春スターとして活躍した。
    1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演している。
    1983年テレビドキュメンタリーの取材で南極に行き、1984年からは毎年2回以上北極の旅を続けている。1985年、5名の隊員と共に北極点を目指したが、北緯88度40分で断念。1989年再度北極点を目指し成功した。
    余技として、絵画、写真、彫刻、刺繍、鼓(つづみ)、日本舞踊など多彩な趣味を持つ。
  • 主な著書:『私だけの北極点』1985年講談社、『笑ってよ北極点』1989年文藝春秋、『ハロー・オーロラ!』1994年文藝春秋。
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