コラム
第9回 東京都立上野恩賜公園
上野の山といえば、桜、パンダ、西郷さんが思い浮かびます。上野公園は江戸城の鬼門にあたり(艮=北東)に位置していたため、鎮護の意味で東叡山寛永寺が築かれ、江戸の人々の参詣で賑わい、花見の名所として親しまれた場所です。
日本初の自然公園
江戸名所絵図に描かれていた伽藍は、彰義隊と官軍との戦いで灰と化しましたが、年月を経て日本最初の自然公園として甦り、動物園やお花見の場として人気も高く博物館や美術館も充実し、芸術の森として親しまれています。
氷河期が終わり、常緑広葉樹が分布を広げ、その太古沿岸林の元祖となるタブの木が今も上野山の西向き崖地に根を張っています。そのため、石器時代の石器、縄文時代の貝塚、五世紀ごろの古墳、奈良・平安時代の豪族の生活用具などが出土し、上野恩賜公園一帯は重層的文化遺跡の地であるといわれています。
今の上野公園の大噴水池には、かつて寛永寺根本中堂瑠璃殿があり、御本坊があったのは国立博物館の地です。江戸城の鬼門を塞ぐ祈祷寺が構築されていたのです。天海僧正は比叡山延暦寺に倣い伽藍を築き、琵琶湖を模して不忍池を造営し江戸中の信仰を集め、物見遊山の地として親しまれましたが、慶應4年(1868)彰義隊と官軍の戦場となり半日でその姿を失いました。
芸術の香り高い桜の名所
吉野から銘木桜を移植
全国的に有名な上野公園の桜は桜好きの天海僧正が寛永寺建立と同時に、吉野山より移植したことに始まり、百種類もの銘木桜が今も咲き争っています。戊辰戦争の後、荒廃した上野山に明治新政府は病院建設を決めていたのですが、事態は一転し、大政官布告による日本最初の自然公園造成がはじまり、明治6年(1873)に公園として開園しました。その後、博物館、美術館、音楽学校などが開設され文化の推進地として芸術の香り高き地となっています。
上野山のシンボルは西郷さん。じっと遠くを見つめている先は、今は家電量販店の看板ですが、実は皇居といわれています。西郷さんの銅像は彰義隊墓所の前、彰義隊との因縁深さを感じます。
上野山は散歩するには一日がかり。国の重要文化財、都や区の文化財、旧跡の多さに驚く史跡の宝庫であり、文化、芸術に触れられる誰もが楽しめる公園です。
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