コラム
第7回「浜離宮恩賜庭園」~江戸の香かほる「浜御殿」
浜離宮恩賜庭園は東京都中央区の南西端に位置し、東は築地、西は竹芝、北は汐留、南は隅田川の河口となる東京湾に面しています。銀座からも散歩距離、東京駅からは1キロ弱の都心に残る、江戸時代から続く潮入の回遊式庭園として、国の特別名勝及び特別史跡に指定されています。
海水を引き入れた潮入の池と、二つの鴨場が伝え残る、江戸時代には江戸城の「出城」の役割も果たしていた徳川将軍の庭園です。
この場所はもともと徳川幕府将軍家の狩場でしたが、三代将軍家光の第三子である四代将軍家綱の弟、甲府の松平綱重がこの地に屋敷を建設して、庭園としての利用が始まりました。さだかではありませんが寛文年間(1661~1673)には浜御殿が完成していたようで、当時は甲府宰相屋敷、海手屋敷と呼ばれていました。
その後、綱重の子・綱豊(家宣)が六代将軍となったのを機に、徳川将軍家の所有となり新たに浜御殿と称されるようになって、休息の場としてだけでなく、京都の公家や僧侶等を招いて接待場所としても利用されていました。
八代将軍吉宗の時代になると、庭園内に薬園を設けたり、砂糖が製造されるなど殖産を主眼においた園地の利用がなされたり、鍛冶小屋、火薬所、大砲場を設けるなど軍事面でも活用されました。その後、十一代将軍家斉によって浜御殿は庭園としてあるべき機能が強化され、ほぼ現在の姿が完成しました。
潮の満ち引きで池の趣が変わる潮入の池は、江戸庭園で唯一現存する海水の池です。臨海副都心を一望出来る新樋の口山、将軍が船で乗降した将軍お上がり場、資料に基づき忠実に復元された四つの御茶屋、総檜作りに改修されたお伝い橋など、季節の花々を楽しみながらゆっくりと歴史を感じる事が出来る場所です。
また、二か所の鴨場は1700年後半に築造されたものです。見所の一つとなっている三百年の松は、六代将軍家宣の時代に植えられたといわれ、三百年たった今でも堂々と太い枝が低く立派に張り出しています。
明治維新後は皇室の離宮となり名称は「浜離宮」となりましたが、戦後、浜離宮の全てが東京都に下賜され翌年から「浜離宮恩賜庭園」として一般に公開されるようになったのです。
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