コラム
「江戸の暖簾」店の信用と自信~連載70
私はインテリアとして自分の部屋の入口に暖簾をかけています。窓を開けて風を通す時には丁度良い目隠しにもなるし、季節ごとに、その季節に合った絵柄にかけ替えて気分転換をしています。
「福が沢山この部屋に舞い込んで来ますように……」という思いから、ふくろうの暖簾を新調しました。二羽のふくろうが寄り添っている紺と白のすっきりとした暖簾です。
本来暖簾というのは、室内で使用するものではなく、塵やほこりを除けたり、風除けや日除けとして室内に入る入口や玄関に使うためのものです。誕生した歴史は古く、縄文時代にまで遡ります。「暖簾」という言葉は鎌倉時代に禅僧と一緒に中国から入って来たもので、「簾の隙間を覆い、暖をとる」という意味だそうです。
暖簾といえば商店をイメージされると思いますが、暖簾に屋号や商標を入れて看板や広告として使用するために染め抜くようになったのは、寛永1624~1644年頃からで、元禄、宝永1688~1711年頃には大流行したといわれています。
江戸時代の風俗百科事典といえば『守貞満稿』ですが、ここに「暖簾は、訓(よみ)のれんなり、専ら木綿製なり、また地紺、記号および屋号等を白く抜くなり」と書かれています。暖簾の基本は紺地の木綿で文字や記号は白抜きだったのです。でもなぜか、たばこ屋だけは例外で、たばこの葉を意味する茶色だったのです。
暖簾にもいろいろな種類があり、長暖簾というのは人の背丈ほどの長さで下の方が割れているもの。下まで縫ってあるものは日除けといい、風抜きをつけないものは、ぱたぱたと風にあおられて音が出るので太鼓暖簾ともよばれました。店の軒先に間口いっぱいに細長く張るのが水引暖簾で、これは見た目も綺麗で屋号や商標が染め抜かれてひと目で解る看板です。
暖簾は時代とともに店そのものを表すものとなり、暖簾が古いといえば、老舗としての信用と歴史を意味するようになり、店のプライドもかかっていました。「暖簾に傷がつく」といえば、店の名誉や信用、名前に傷が付き泥を塗るということでした。
長年の丁稚奉公から手代、番頭と勤め続け、いよいよ独立して店を持つと、やっと暖簾分けをしてもらえます。ついに主人と同じ屋号を許されるのです。暖簾分けには厳粛な儀式があり、真新しい暖簾を主人から独り立ちする弟子に手渡されたそうです。弟子はその信用という重みを背負い、自分の道を歩んでいくわけです。
屋号や商標が大店の風格を表わす、商家の看板となっている暖簾は浮世絵でも描かれています。広重の「東都大伝馬街繁盛之図」「江戸名所百景」に描かれている暖簾は見事です。
現代は随分と暖簾もカラフルでオシャレになりましたが、暖簾を眺めながらの街歩きも楽しいものです。創業〇〇年と書かれている暖簾にはその店の自信と誇りを感じます。
(本稿は老友新聞本紙2017年1月号に掲載した当時のものです)
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