コラム
「大名屋敷の基礎知識」用途の異なる四種類~連載69
一度やってみたいと思う事として、忙しなく動いている世の中をしり目に、のんびりと都内の大名屋敷だった場所を巡ることです。現代の東京でもその姿を垣間見る事ができます。今回は大名屋敷の四種類をご紹介いたします。
江戸の大名やその家族が住む武家地は、ほとんどが幕府から拝領した屋敷で「拝領屋敷」と呼ばれ、その拝領屋敷には「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」「蔵屋敷」と四種類がありました。
上屋敷は、大名家の本拠地にあたる場所で、大名と家族の生活する場所でもあり、江戸での政務活動や事務所機能、そして迎賓館の役目も兼ね備えていた所です。手入れの行き届いた庭園が広がる「御殿」で、来訪する将軍や他の大名を、贅を尽してもてなしていたのでしょう。
中屋敷は隠居した大名や先代の未亡人、成人した大名の子女の居住地です。江戸では火事が多かったので、その時の予備の邸宅としても考えられていました。
下屋敷は別荘としての役目と災害の避難場所として使われていました。また、弓馬術が上級武士のたしなみとされていた当時は、下屋敷に馬場を作り、乗馬を楽しんだり、弓の稽古をする場所でもありました。
蔵屋敷は拝領地から運ばれてくる物資を荷揚げして、倉庫として管理する場所だったので、利便性を考えて海や水路に面した場所が選ばれていました。
江戸という街は大部分が武家屋敷で占められていたのですが、無秩序に建てられていたのではありません。大名は定期的に登城しなければならないため、本拠地である上屋敷は江戸城に近い場所、それに続いて中屋敷、下屋敷という準で同心円状に江戸城から離れる配置が基本でした。
明治になると大名屋敷の大半は政府によって接収され、また、関東大震災や戦時下の空襲でほとんどが焼失してしまいました。
上屋敷が集中していたのは、江戸城に近い今の丸の内、日比谷、永田町、霞が関のあたりで、迎賓館は紀州徳川家、外務省庁舎は福岡県黒田家、法務省庁舎は米沢藩上杉家、憲政記念館は彦根藩井伊家、丸ビルは岡山藩池田家上屋敷など他にもまだまだありましたが、ビジネス街、官庁街にすっかり様変わりしています。都内の大きなビル、官庁、商業施設、大学などは上屋敷、中屋敷だった所が多いので、思いを巡らせて探し出すのも楽しいものです。
東京大学の赤門は加賀金沢藩前田家の上屋敷の門そのものが残っています。また、新宿御苑、六義園、清澄庭園など都民の憩いの大きな公園などは下屋敷だったところです。今、話題の築地市場は尾張徳川家蔵屋敷跡です。
今年こそは、ゆったりとした年にしようと、夢を大きく膨らませています。
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