コラム
「江戸のくすり」病気は自分で治すもの~連載68
この季節になると風邪薬のコマーシャルが流れ出し、あー冬なんだと実感し、インフルエンザの予防接種をいつ頃打とうかなと悩む時期です。
もともと私達日本人は清潔好きな民族ですが、最近はいろいろな細菌対策ということで消毒をする事が多くなりました。抗菌グッズも多種多様に出回っています。あまり予防線を張ってしまうと逆に抵抗力が弱まり、少しのことでもやられてしまうような気がします。
昔の子どもは皆泥で汚れいたし、その手で平気で食べ物を食べてもびくともしませんでした。こんな話は今のお母さん達が聞いたらビックリすることでしょう。トイレだってくみ取り式でしたから、家の中は細菌だらけだったはずです。それでも子どもは青い鼻を垂らして元気でした。今は青っぱなの子どもは見かけませんし、泥んこ遊びをさせない親御さんもいるくらいです。
江戸の市街地は人口密度が非常に高く、そのために病気の発生率も高く、あっという間に人から人へ移ってしまいます。そのためか、幕府に仕える御殿医から町医者までさまざまな医者がいたのですが、今のように国家資格などなく、医者になるのに膨大な費用がかかるわけでもない江戸時代では、薬の知識さえあれば誰でも医者になれたのです。それだけにいい加減な藪医者や法外な診察料を請求する者も数多くいたようです。
そこで庶民は鍼灸治療や売薬を利用したのです。薬は行商や、店でも売られていたので長屋住まいの庶民にも買う事が出来ました。風邪薬やこう薬は意外な所で売っていました。なんと、銭湯や蕎麦屋です。値段も十六文から二十四文位だったので、蕎麦を食べるのとさほど変わらない値段でした。現代でもドラッグストアーはあちらこちらにもあり、コンビニでも薬を売るようになり大変便利な世の中です。
常備薬で人気だったのは「和中散」という粉薬。これは旅のお供でもありました。めまいや食あたりに効くとされていました。『江戸名所図会』には東海道に面して、たいそう賑わっている大森の店が描かれています。
また薬種を売る店もあり、薬の材料となるもの、つまり漢方薬を扱う店ですが、元禄年間には輸入薬品を扱ったり、外科の医療器具などの製造も行なうようになっています。
滝沢馬琴や式亭三馬も薬を売っていたこは有名ですが、特に三馬は自分の作品の登場人物の台詞に宣伝文句を入れて宣伝効果を高めて店は大繁盛したといいます。『東海道膝栗毛』の弥次、喜多が持って旅をしたのは「反魂丹」で頭痛、心痛、小児病、気付に効くといわれ、「錦袋円」は痛み止めで万病に効くと評判の丸薬でした。
この「万病に効く」というフレーズ。どれほど科学が進んだら開発されるのでしょうか?
万病に効くとは「毒を持って毒を制す」位の病を撥ね退ける強い気持ちと、抵抗力のある日々の身体作りだと私は思っています。
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