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コラム

2021年07月19日

「江戸の呉服屋イノベーション」知恵を絞って商売繁盛~連載61

両国にある江戸東京博物館では「近代百貨店の誕生」という企画展が開催されています。

ついこの前までは百貨というだけに、デパートに行けば何でも揃い、憧れに近い感覚でしたが、今は居ながらにして簡単に買い物が出来る時代になり、便利なようで何か少し寂しい気がしてなりません。

お休みの日に家族で百貨店に出かけるのが昭和時代の幸せの形の一つだったように思います。その百貨店の元祖は江戸で成功した越後屋です。

 

江戸に大丸、越後屋、松坂屋、白木屋、升屋など大型呉服店が開店したのは元禄以降です。その規模は観光名所になっていた程で、景観を描いた錦絵は江戸土産として人気でした。

 

通旅籠町の大丸は表間口三十六間、駿河町の越後屋は大通りをはさんで三十五間の江戸本店と二十一間半の江戸向店が向い合って建っていたのですから、一般の店舗が九尺~三間半に慣れている江戸見物に来た人達にとっては圧巻だったでしょう。

大型呉服店のお得意様は武家と裕福な商家で、そこに年頃の娘がいたならば上手に商売をして結婚するまでには数棹の箪笥に着物が納まるようにしたというのですから、商売上手がうかがえます。

 

武家に対しては掛け売りというツケで売るというシステムがあり、盆と暮れに精算する商いですが、呉服屋は顧客との関係が途切れないように全て精算はせず、いつでも売掛金がある状態にしていました。

ところが、越後屋が新種の商法を打ち出したのです。「現金売り、掛け値なし」この方法で利息分を価格に上乗せする事が無くなり、他点よりも安値で売っても十分に利益を出しました。

これが口コミで広がり、大名、旗本、商家も越後屋へ出向きその場で現金で買い物をするようになりました。

当時は商品に値札がついておらず、値引き交渉と駆け引きが商人の腕の見せ所でしたが、越後屋はそれも取り止め、正札を付ける事により値引きもしませんでした。まさに、今の販売スタイルのハシリです。

 

歌川豊春が描いた浮世絵には、天井からは見本の反物が数多く吊るされ、店の両側にある柱には、「現金掛け値なし」のうたい文句が張り出され、非常に繁盛している駿河町の活気ある越後屋呉服店の店内の様子が描かれています。今の日本にこんなに流行っているお店は残念ながらないでしょう。

越後屋をはじめとする大呉服屋は京都、伊勢、近江に本店があり江戸は出店です。このような店を「江戸店持ち京商人」といい、競い合って江戸で商売をする中、越後屋は次々の新しい販売方法で得意先を増やして行ったのです。例えば、一反単位で売っていた反物を切り売りすることで、流行の新柄でちょっとした小物や飾り物を作るために、町娘が望みの長さで買うことが出来、また、町内の若い衆も祭には、今までは数人でお金を出し合って買っていた晒を希望の長さに切り売りして貰い褌を新調出来ました。

 

江戸の庶民は古着屋で衣生活をまかなっていたので、なかなか大呉服店には足を踏み入れられなかったのですが、日常は古着を着ていた滝沢馬琴も初孫の正月の晴れ着は大丸で買い、その時に食事付きの対応だった記録があります。それほどの気配りで京商人は江戸で店を繁盛店させていたのです。

 

今も日本橋界隈には当時の活気ある繁盛店を想像出来る通りがあり、老舗百貨店は健在です。(本稿は老友新聞本紙2016年4月号に掲載した当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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