コラム
江戸の盆行事~亡き人の御霊を迎える日 連載53
お盆は江戸時代以前から武家や貴族の行事とされ、江戸時代になり一般庶民に広がりました。
世の中が平和になると共に、いろいろな物が生産され、流通も発達すると、仏壇や提灯に使うロウソクも大量生産されるようになり、安くて簡単に庶民の手に入るようになったため、お盆行事を行うようになりました。
現在のお盆で、私がまず先に思い浮かぶのは、帰省による交通渋滞です。毎年の事ながら、「〇〇トンネル30キロ渋滞」などのニュースを聞くと、大変だなぁと思います。
当時のお盆はお正月と同じで、「藪入り」といって奉公人が実家に帰ることを許された時期です。年に2回のこのチャンスを、江戸へ出て職人・商人として働く奉公人達は心待ちにし、これを励みに毎日仕事に精を出していたのでしょう。
精霊を迎え送り出すのが盆行事です。精霊が無事に家に戻り、また帰れるように灯す灯りが「迎え火」と「送り火」で、江戸時代には盛んに行なわれていました。今も京都の五山の「送り火」は有名です。松明を宙に投げて、死者の霊が帰って行くのを見送る風習からきているといわれています。精霊が無事に帰れますようにという、気持ちが込められているのですね。
この五山の送り火、江戸時代後期は、十山の送り火でしたが、起源や由来は未だに謎が多く、はっきり解っていません。
1600年の半ば、旅行ブームが起こった時、江戸では旅行ガイドブックのようなものが出回り、既にその中に「送り火」「大文字」は紹介されていました。
精霊を迎えて死者を供養するために広がった行事の一つに「盆踊り」があります。この起源は、平安時代に空也が創始し、鎌倉時代に一遍が広めたという念仏踊りです。
時代と共に人々は、音楽を奏で、太鼓を叩き、華やかな衣装をまとい、楽しく踊るように変化しました。今の盆踊りの原型です。
盆踊りは人々の間でどんどん盛り上がるようになり、次第に未婚の男女の出会いの場と化し、「風紀が乱れる」という理由で明治時代には禁止された時期もありました。
「祭の夜には何かが起こる」と言われますが、年に一度の盆踊りは、もともとの意味を超えて娯楽に変化を遂げて来たのです。
また江戸ではお盆前、日頃命の源になっている井戸を掃除する「井戸さらい」「井戸替え」が行われていました。長屋の住人が集まって大々的に井戸の水を汲みだして、ゴミを取る行事です。
江戸の井戸は、玉川上水から水を引く水道管のようなものだったので、ライフラインを美しく保つために余計掃除が必要だったのでしょう。井戸をきれいにしてお盆を迎えていたのです。
会ったことは無い「亡き人」。自分のルーツに感謝する心を次の世代に伝え残しておきたいです。(本稿は老友新聞本紙2015年8月号に掲載した当時のものです)
この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。