コラム
江戸時代の怪談の楽しみ方~平和な時代の風物詩 連載52
今と違い、江戸の街の夜は「ぬばたまの闇」。闇の黒は深く濃く、夜の街を照らすのは月明かり、星明りの他に、所々ポツリとある掛行燈と提灯が、周囲をぼんやりと照らしているだけです。
眠ることを知らない、24時間煌々と電気がついている東京暮らしの私はそれだけでも恐ろしさを感じます。いかにも出そうです。何が?「お化け~」が!
クーラーはおろか扇風機もない江戸時代、当時の人々は夏の暑さを凌ぐため、打水、風鈴、よしず、行水などいろいろな工夫をしましたが、その一つがお化けの話「怪談」です。
怖さを感じ背筋がゾーッとすることで、涼しさを得ていたのです。
江戸時代に成立した怪談で有名なのが、「四谷怪談」「番町(播州)皿屋敷」「牡丹燈篭」。これらは「日本三大怪談」と呼ばれています。確かに子どもの頃に、怪談物の時代劇が夏になると必ずテレビで放映されていましたが、昭和の時代の怪談映画は本当に怖くて、夜はトイレに行けなかった思い出があります。
現代でも上演されている、歌舞伎における怪談物の地位を高め不動のものにした、四谷怪談の伝説がもとになった「東海道四谷怪談」、累が淵伝説を元にした「色彩間刈豆」は、ともに江戸後期に活躍した歌舞伎狂言の作者である、四代目鶴屋南北の作品です。
歌舞伎の幽霊物、落語の怪談噺や出版物で妖怪が世の中に出回ったのは、世の中が平和になった証拠なのだと思います。平和な時代だからこそ人々は「恐怖」に娯楽を求めたのかもしれません。
幽霊は頭に三角布を付けて、足がなく両手をだらりと下げて、井戸の中や柳の下から、一定の人を目指してどろ~んと出てくるのが代表的なスタイルです。これが定番となったのは江戸後期。妖怪も当時は活躍していました。鬼、河童、天狗、一つ目小僧、ろくろ首などで、何時、何処に出没するのかわからないものでした。
江戸時代には、参加者が怪談を語る百物語が大ブームとなりました。闇夜が深い新月の夜に、百の明かりを用意し数名の参加者で行う。と定義され、参加者が幽霊や妖怪が出現する話や不思議な話を語るごとに、明かりを一つ一つ消していき、最後の明かりが消えた瞬間に怪奇現象が起こるというものです。これはあくまでもスリルを味わうためのイベントのようなもので、何も起こらないようにするために九十九話までいったら、そのまま朝を迎える会がほとんどだったようで、やはり平和な世の中だったのでしょう。
このような会は町人が中心でしたが、武家の社会でも実施されたことがあったと言われています。こうした流行は出版物にも影響して、日本全国津々浦々の怖い話を集めた怪談集「諸国百物語」が刊行されて人気を博しました。
蒸し暑い夜には、昭和の怪談時代劇を見みて涼しさを求める。良いか悪いか怖い物見たさ。背筋が寒くなり、クーラーを切れたなら究極のエコ……ですね。(本稿は老友新聞本紙2015年7月号に掲載した当時のものです)
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