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2020年10月27日

長寿・徳川家康の健康法とは?連載49

徳川家康は駿府城において75歳で亡くなるまで、生涯大きな病気をすることもなく過ごされた大変健康な人でした。

「人間50年……」という信長の名言がありますが、戦国時代から江戸初期にかけて、日本人の平均寿命は40年ほどと言われていますので、当時としては長寿を全うしています。

家康は3歳で母と生き別れ、6歳で織田家に売られ、8歳から約11年間も今川家で人質生活を送るなど、子どもの頃から忍耐と苦難に満ちていました。関ヶ原の戦いで勝利し、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣家を滅ぼし、政治の実権を握り、天下を統一し、江戸幕府3百年の礎を築いた家康の健康法の一部をご紹介いたしましょう。

健康法の一つ目は、まず身体を動かすことで、趣味は「鷹狩り」でした。時間さえあれば必ず行っていたと記されており、

「単に鷹狩りを楽しむだけでなく、早起きすることにより、朝食前の運動は昨夜の食物を消化し、更に朝食も美味しくなる。走り回ることで足腰も鍛えられて病気になる心配もない。夜は昼間の疲れで安眠出来るので女色に溺れることもなく、ストレス解消になり、鷹狩りこそが第一の養生法である。」

というような内容の記述も残っております。また、鷹狩りをしながら農民達の生活の厳しさや習慣などを観察していたとも言われています。

他にも剣術、馬術の稽古は欠かさず、なんと! 69歳まで、水の冷たい瀬名川で泳いでいたというのには驚きです。晩年は身長155~160cm、体重70Kgという記録からすると肥満体型です。こういうスポーツをしないと寿命はこんなに長くは無かったと思います。

健康法の二つ目は薬の調合です。ほとんどの戦国武将達は自分の身を守るために医術を学び、医者の調合した薬を飲んでいた時代に、家康は自ら研究し、駿府城外に専用の御薬圓を作っていたほどです。自ら調合し、愛用していた薬として有名なのが「万病円」です。何の病気にも効く薬と考えられていたのでしょう。薬の調合の時に使用した薬研や薬瓶が久能山東照宮博物館に展示されています。

そして健康法の三つ目は摂食、摂酒です。徳川実記には日頃から粗食を常とし「麦めし、具だくさんのみそ汁、丸干しイワシ」を好んで常食としたと記されています。

毎日麦飯だった訳ではなく、白米も食べていましたが、麦飯の効能は熟知して鷹狩りにはいつも持参し、摂生して、節制ある生活を送っていたのがうかがえます。

また、お酒については「酒は元気を引き立てる」としながら大酒をすることはありませんでした。このように自ら健康管理を怠らなかったことが長寿の秘訣であり、今でいう「予防医学」を実践していたと言えるのではないでしょうか。

74歳まで甲冑を身に付けて、大阪夏の陣に出陣していた家康の体力と精神力は強じんです。恥ずかしながら私も、せめて駅のエレベーターではく、階段を利用する所から始めてみようと思います。

(本稿は老友新聞本紙2015年4月号に掲載した当時のものです)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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