コラム
読本と絵草紙~インテリ向けの小説と平仮名ばかりの大衆本 連載44
最近では、電子書籍というひと昔前では考えられない、たいそう便利な新兵器も登場しましたが、読書のスタイルは人それぞれ。私はまだまだ昔のまま。やはり「紙」で読み進めるのが頭に入ります。
さて、江戸の人々はどの様な本を読んでいたのでしょうか?
まずひとつ、「読本」というものが挙げられます。所々に挿絵の入った読み物で、代表的なものは曲亭馬琴の「八犬伝」「椿説弓張月」(葛飾北斎挿絵・全二十八巻)、上田秋成の「雨月物語」「春雨物語」で、江戸時代の有名な小説です。読本は和漢混淆文であったために、そのまま読んだ人は少なかったようです。「南総里見八犬伝」は『京都の将軍、鎌倉の副将、武威衰えて偏執し、世は戦国とはりし比、難を東海の浜に避けて……』という文章が文庫本にすると十冊も続くものだったので、これを読破するには相当な根気が必要だったのでしょう。
当時の読本は教養人向けの娯楽小説で、波乱万丈の筋立てが人気でした。一般向きの黄表紙や、合巻よりも高級な作りでお値段も高いものでした。
このようなインテリ用読本とは逆に、庶民が楽しんでいたのは絵草子というものです。絵を主体とした小説で、赤本、黒本、青本、黄表紙、合巻と発展していきました。
読本と異なり文章は平仮名ばかりなので、寺子屋教育だけでも読む事が出来ましたが、当時は木版刷りの時代でしたから、一冊の本文はわずかに十ページほど。合巻以外は二~三冊で完結しているので、今の短編小説よりも短いということになります。
絵が主体でこのページ数だと、あっという間に話が終わってしまうので、三十~五十ページを綴じた合巻の時代になり、やっと小説らしい読み応えのある小説が出て来るようになりました。その中で一番の評判だったのが、『源氏物語』の世界を室町時代に写したことにしている「僞紫田舎源氏」。柳亭種彦作・歌川国貞画によるもので、女性に大変人気だったといわれています。合巻は大衆向けの伝奇ロマンが多く、読者が一喜一憂する趣向となっていたため、明治期の知識人からは軽蔑されていました。
最後に読本作家として有名な曲亭馬琴についてふれておきます。江戸時代唯一、筆一本で生活した日本最初の文士です。志高く文章で身を立てようと山東京伝に師事して代作で黄表紙を執筆したのがスタート。四十代で読本の人気作家となり執筆活動で生活しましたが、七十歳前後で視力が衰え盲目となってしまい、「八犬伝」をはじめ未完の大作をすべて中断するという不幸に見舞われました。
口述筆記しか手立てがなくなった馬琴は、先立たれた息子の嫁に口述筆記を委ねることになるのですが、その嫁はまったくと言っていいほど漢字を知らなかったので、大変な苦労を重ねて「八犬伝」を完結したのです。
このような背景を知ると「八犬伝」を長い秋の夜に読んでみたくなりました。ハリーポッターの日本の古典版のような本なので、十分に冒険心を満たしてくれるはずです。(本稿は老友新聞本誌2014年11月号に掲載した当時のものです)
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