コラム
「一枚の着物」江戸っ子ファッションの基本はリメイクとアレンジ!~連載39
ある晴れた日、舞台の下合わせに行くのに私が選んだ着物は萌黄色の小紋と淡いオレンジの長羽織。重ねの色目で薄紅と萌黄というのが好きなので意識してみました。
この長羽織は十代の頃に着ていた着物です。当時はこの着物があまり好きではありませんでしたが、やっと数年前にこの着物が派手になり正々堂々と着るのも気恥ずかしくなってしまったので長羽織にリメイクしてみました。するとどうでしょう、人の心とは簡単に変わるもので、長羽織に変身したとたん、とても好きになりました。新しい命を吹き込まれた着物は私のお気に入りとなり、30年以上の付き合いになります。この長羽織を着ていると、何故か人から振り向かれるのです。和服姿は女性の魅力を押し上げてくれるものなのでしょうか?
江戸時代には「馬子にも衣装」「浮世は衣装七分」「女は衣装髪形」という教えが既にありました。また「ボロは着ても心は錦」と昭和の時代に歌われていましたが「心は錦」と判断出来るまで人間関係を築くには時間がかかり、そのためには初対面のさいに相手に不快感を与えない心配りが大切で、たとえボロであってもきちんと繕って着る配慮が必要です。
江戸の庶民は越後屋などの呉服屋とは縁遠く、普段身に着けていた着物は着古して何度も繕ったもので、もっぱら古着屋で調達していました。古着屋は市中いたる所にありましたが、とくに柳原の土手には沢山の古着の屋台が並び、江戸以外からも買い求めに来る客で賑わっており、今でいう原宿の竹下通りのファッションストリートのようです。
古着は何年も着古した物や、なんらかの事情で持ち主が手放した新品同様の物まで様々。また遊女が使用した腰巻は高級緋縮緬であったため、生地が傷んでいなくても色が褪せれば新品に代えたので、大量に古着屋に出回り、黒や紫に染め直しをされ頭巾用に売られていたといいます。
このように何か一着買えば何度も洗い張りをして仕立て直し、自分が着られなくなれば子供用に作り替えて着せ、それが着られなくなればまたリメイクして、下駄の鼻緒、おしめ、ハタキ、雑巾にして最後はボロとして売り払い、またそれを買った人が燃やして灰にして畑にまくという完全なリサイクルでした。
1728年(享保8年)当時の江戸には古着の売り買いの権利を持つ人は3千人余り。さらにその下で働く人を含めればかなり大きな業界だったという事が解ります。一枚の着物に何度も何度も命を吹き込んだ先人の知恵を見習い、取り入れたいと実感いたします。私の着物達も筝や三味線の袋になったり、道具入れ、投扇興の扇子入れになったりと、様々な第二の人生を歩んでいます。
日本の着物の良い所は、時代を経ても「美しい」ということです。リメイクをするマメさを先人から受け継ぎ、リメイクする現代のセンスは個々に磨きたいものです。これから衣替えの季節。和ダンスの着物の新たなる道を見つけるには絶好のチャンスかと思います。
(本稿は老友新聞本紙2014年6月号に掲載した当時のものです)
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