コラム
衣をさらに重ね着で「如月(きさらぎ)」~連載36
少しずつ水が温み、気品が薫る梅が見ごろとなると、土の中に沈んでいた虫たちも春の予兆に目覚め、地上に動き出す頃となります。三寒四温。まだ寒の戻りもあり雪の降る日もある、名残り風情を楽しむのが江戸っ子でした。
如月は旧暦2月(新暦3月6日頃~4月5日頃)にあたります。松尾芭蕉の「笈の小文」で詠んだ俳句の中に〈裸には まだ衣更着の 嵐かな〉という、伊勢神宮に参拝した僧侶が、貧しい物乞いに自らの着衣を与えて裸で帰ったという故事によるもので、如月の語源のひとつにもなっています。
また、寒さが残る季節、衣を更に重ね着するので「きぬさらにき月」となって、衣更着となったという説ですが、如月の語源にはいろいろな説が残っています。
暖房器具のない時代、衣服で体温調節をして健康管理をするというのは今の時代からすると究極のエコともいえます。スイッチ一つで温度を上下させて快適に身体を順応させるよりも、身体を気温に合わせて生活する方がはるかに健康的です。
草木の芽が張り出す月なので「草木張り月」という説、雁が飛んで来て、更に燕が来るので「来更来」陽気が増して来るので「気更来」とする説もあります。
24節気の如月は土中に潜っていた虫たちが陽気に誘われ這い出してくることを意味する「啓蟄」と、太陽が真上から昇り真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる「春分」があります。さらに72候では啓蟄の初候を「蟄虫啓戸」(ちっちゅうこをひらく)、次候は「桃初笑」(ももはじめてわらう)、末候「菜虫化蝶」(なむしちょうとけす)。春分の初候「雀始巣」(すずめはじめてすくう)、次候「桜始開」(さくらはじめてひらく)、末候「雷乃発声」(らいすなわちこえをはっす)とあります。少しずつ水が温んで、生命が息吹き、そして躍動して輝く様子を感じます。
暦の上では春でも、この季節は寒の戻りも厳しく、雨が雪に変わることも多いです。天候が定まらず、「冴えかへる」ような寒さをもたらす冷たい春の雪を「雪の果」「名残りの雪」などと呼び、人々の情感に訴えるところが大きかったのが、春の雪です。
この雪が雨になり、春の陽気を感じさせれば、人のこころも和らいで新国劇の「月形半平太」で有名な「月さま、雨が……」「春雨じゃ、濡れて行こう」という名台詞を
思い出す頃となります。
如月の末には雛人形や雛道具を商う江戸の町に華を添える市が立ち、尾張町、麹町、人形町、池之端などはたいそうな賑わい。なかでも現在の日本橋室町あたりの十軒店に立った雛市は一番人気だったようです。
気持ちも浮き出す春爛漫。小さな季節も見逃さずに生活に取り入れ、それを思う存分に楽しむ江戸の人々の知恵は生き上手とも言えると思います。自然と共生し、逆らわずに暮らして行く生きざまは学ぶことばかりです。
(本稿は老友新聞本紙2014年2月号に掲載した当時のものです)
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