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2018年11月13日

高等数学を遊びにしてしまう江戸っ子!?…「和算」のお話~連載30

「和算」というと、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか? 今のパズルの元になったとも言われている江戸時代の算術です。昔「ツル、カメ算」や「旅人算」などで数遊びをなさった方も多いと思います。江戸時代の人もこのような数字、数学で楽しんでいたのです。

ここ数年、パズルがブームとなっておりますが、その中には数字を使ったものが多いのは、やはり数学が頭の体操になるという事で根強い人気があるからでしょう。よく電車の中で真剣にパズル雑誌とにらめっこをしている方をお見かけいたします。お好きな方は少しの隙間時間でも数字を楽しまれます。江戸時代の人も、時間をかけて数学の問題をコツコツと解いていたのではないでしょうか? 「塵劫記」という和算の本は江戸時代のミリオンセラーです。

当時は数学のことを「算」と呼んでおり、現在は幕末以降に西洋から入って来た「洋算」に対して「和算」と呼ばれるようになりました。和算は中国から安土桃山の頃伝わったと言われる「天元術」が元になったと言われ、算盤もこの頃日本に入ってきました。これらが日本で育ち(改良)されて、幕府の御納戸組頭を務めた旗本・関孝和という人が学問として確立したものです。

当時の和算は、学問というよりも「茶道」「華道」のように稽古料や免許料を収める人だけに伝授し、入門にあたっては、勉強した内容は親兄弟、身内にも口外しないと「門外不出」のように誓約書のようなものを書かされたそうです。芸事に近い考えであったために実用には乏しかったようですが、天体の観測には和算は使われていましたし、伊能忠敬は日本地図を作るための測量に和算も使い、歩いて日本中を測量して日本地図を作りました。

一般的には難しい問題を出して解くという流れになり、今の数学者も驚くような問題もありました。難問を競って解いた試合のようなものもあり、それだけ江戸「和算」は大変高度で優れていたものと言えましょう。このように作り出された問題を解いた人々は解法を神や仏に感謝するために絵馬にして奉納したと言われています。

各地の神社を細かくご覧になっていただくと「算額」というのがあります。算額には問題と解答のみが書いてありますが、これは「あなたはこの問題の答えに行き着けますか?」という奉納した人が見る人への問いかけの意味があり、奉納した者の挑戦的な意味もあったのだと思います。

和算の愛好家はけして特殊な人たちではありませんでした。現存する算額は江戸に集中しているのですが、長野や一関など雪深い所にも多く残っています。雪の降る冬の間、雪に閉ざされてしまい外に出られない農業の家にも和算は広がって行ったようです。やはり日本人は勉強好きだったのですね。

頭は常に柔らかく! たまには数字に向かうのも若さの秘訣かもしれませんね。(老友新聞社)

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酒井 悦子
  • 伝統芸能コーディネーター / 筝曲演奏家

幼少より生田流箏曲を学び、現在は国際的に活躍する箏演奏家。

箏の修行と同時に、美術骨董に興味を持ち、古物商の看板も得る

香道、煎茶道、弓道、礼法などの稽古に精進する一方で、江戸文化の研究に励み、楽しく解りやすくをモットーに江戸の人々の活き活きとした様子と、古き良き日本人の心を伝えている。

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