コラム
「火の用心!火の要慎!」火の始末には細心の注意を払う江戸人の暖のとり方。連載20
今でこそ地球温暖化と言われますが、江戸の冬は今よりも深々と寒かったはずです。当時の人々、特に庶民はいったいどんな暖房器具を使っていたのでしょう……。
やはり代表的なものはなんといっても炬燵。暖を取るにはコレだったと思います。でも、長屋の一戸一戸まで広く使われていたかというとそうでもなさそうです。やはり炭はそれなりに高価であったので、そう毎日は使えるものでもなく、炬燵があっても節約のために火を焚くわけにもいかなかったのです。台所のかまどで煮炊き用に燃やした薪の残り炭などを利用し、上手にリサイクルも出来、一石二鳥だったわけです。
貧乏長屋に隙間風がピューピュー吹いている様子は、テレビの時代劇でもお馴染みです。炬燵の他には「長火鉢」もあり、湯沸し用として使われていましたが、冬は暖房器具としても多いに役立っていました。また「手あぶり火鉢」もよく使われていましたけれど、どこまで暖かくなるのかは定かではありません。
長屋での生活は、暖房というより、とりあえず寒さを防ぐことが優先だったと思います。夜寝る時は「枕屏風」を立てて寒さを防ぐ工夫もありました。この屏風は、昼間は部屋の隅に置き、寝具などを隠す仕切り板の代わりとして使われ大変便利なものでした。
この様に書いていると、長屋の住人はいつも寒さに震え、また耐えている様に思えますが、商人や一般庶民も同じ様な生活でした。大名も豪商も電気やガスがあったわけでなく、住んでいる環境は違っても特別な暖房器具も無かったので、冬は身分に関係なく平等に寒く、人々はそれぞれ工夫して暖を取りながら暮らしていたのでしょう。
「火」を毎日使う台所を考えてみると、長屋の台所は調理場であると同時に、暖炉でもありました。普通の長屋は九尺二間といわれるサイズで、狭いスペースに台所が付いているので、煮炊きするかまどはちょうど良いストーブにもなっていたかと思います。
かまどは「へっつい」と呼ばれ、「竃」という難しい漢字を書き「へつつい」とも読みますが、それが訛って「へっつい」となったものです。「竃」にはかまどの神様の意味も含まれています。最近では希薄になってしまいましたが、火を使う場所はどこの国の文化も神聖な場所として扱われてきた歴史があります。江戸の人々は、火の始末にはなみなみならぬ細心の注意をはらい、火を恐れてもいました。当時は木造住宅で、一旦火が出たら江戸の町全体に燃え広がるからです。かまど神様である「荒神様」や「火の用心」のお札を貼り「火の要慎」と書いたのも、要慎という字から当時の人の火に対する姿勢が伝わってきます。
これからの季節、日本はカラカラの乾燥列島になります。今も変わらず火の元用心、火の用心。「火のよーじん!」カーン、カーンという声は、地域によっては今でも聞こえてきます。そろそろ暖が恋しい季節、上手に節電、そして火の用心を日々頭隅にしまっておきたいものです。(老友新聞社)
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