コラム
「一日の遊びは百年の命をのばす」江戸時代の行楽の主役はやはりお弁当! 連載13
春は行楽シーズン。
行楽の古くは「野掛け」といい、「野駆け」と同じ意味で、もともとは山の神、野の神と一緒になって野山を走り回り、共に楽しむところに意味があります。冬ごもりで衰えた生命力を、芽生え始まった野や山で神と遊ぶことによってよみがえらせていたと言われております。
春になると、草木が芽を出し若葉を広げます。その若葉に宿った春のエネルギーを取り込み、体に活力もつけていたのでしょう。
野掛けばかりではなく「磯遊び」や「潮干狩り」も人気でしたが、行楽の楽しみはやはり、なんといっても今と変わらずお弁当でした。「一日の遊びは百年の命をのばす」(江戸繁盛記)といって、江戸時代の人達は各地の野遊びの名所に出かけて行き、その日一日を有意義に楽しんでいたようです。行楽の名所には手習いの師匠が多くの弟子を連れていたり、御殿女中も仲間とやって来たりします。いずれもそれぞれの弁当箱に沢山のご馳走を詰めて。
行楽に持って行く弁当を「野掛けふるまい」といい、重箱や弁当箱にのりまきやちらし寿司、煮しめ、卵焼き、かまぼこ、煮豆、あえもの、たくあん漬けなどがつめられており、デパ地下で売っている行楽弁当そのものでした。
また風流人の間で用いられたのは「茶弁当」といい、野点用の茶道具と茶菓子箱がセットに組み込まれていました。この様に物見遊山用の弁当が発達したのは、平和が続いた江戸時代からで、その中に詰める人気の料理は今と変わらず卵焼きだったそうです。
春は磯遊びの到来でもありました。
「春の海 ひねもすのたり のたりかな」
江戸時代中期の有名な俳人の蕪村の作品ですが、潮のうねりにきらめく、柔らかい春の陽射しが、海水の温まりはじめた事を知らせています。潮干狩りは春の行事として大切で、あさりやはまぐりを採ることは、潮風や海水に触れることによって身を清め、海の生命力にあやかる大きな目的もありました。もともと日本人は稲作農耕民族なので、苗代づくりに入る前に海水につかり、汚れを流す「みそぎ」が必要で、それが済んだら海の幸を採取するのが日常でした。各地の貝塚からの出土を見ると、いかに海が豊かであったか物語っています。
江戸で一番人気のあったのは、品川や芝浦、洲崎などで、一年中で満干の差が最も大きくなるのは旧暦の三月三日の大潮。この時期は大名達の参勤交代シーズンと重なり、行列の長持ち唄が潮干狩りの現場まで聞こえたといわれています。
「一日の遊びは百年の命を延ばす」一日のスイッチをオフにして、ご家族や親しい友人達と一緒に、昔ながらの風呂敷に弁当をつつみ行楽地へ出掛けることを是非オススメします。山や大地、そして恵みの海からみなぎる春の命を分けて貰い、新たに人と人との繋がりも強め、自然に寄り添い助けられながら暮らしの中の行楽を満喫しようと思います。(老友新聞社)
この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。