コラム
江戸時代の元号〈改元〉
(本稿は老友新聞2019年7月号に掲載した当時のものです)
元号が変わることを改元といいますが、「平成」から「令和」に改元されることになったのは、天皇が生前に譲位なさるという特例によるものです。そろそろ約二か月になろうとしていますが、お祭り騒ぎもやっと一息。「令和」、れ・い・わ、Rという文字にもようやく慣れたような気がします。
これまで、明治、大正、昭和と改元されましたが、これは「一世一元の制」といい、天皇一世代の間は一つだけの元号にするという制度があるからです。
ここで気になるのは江戸時代。あの長い時代はどうだったのでしょうか。江戸時代は13人の天皇が即位されましたが、改元は35回もありました。35回もあった改元の平均年数は約7年間。その中でも最長の元号は21年間の寛永と享保、次は17年間の元禄、15年間の文化と天保が続きます。
最短の元号は幕末期の1年1カ月の万延、1年4カ月の元治です。それだけ日本は動乱の最中で大変な世の中だったとはいえ、昨年に覚えた元号が今年はまた違うとなると、これもまた混乱したのではないでしょうか。
一天皇一元号でない江戸時代の例をあげると後西天皇の時は、明暦、万治、寛文、延宝、天和、貞享と6回も改元され、幕末の孝明天皇も一代で、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と6回改元されています。このように江戸時代は一天皇一元号ではなく頻繁に改元されていました。
形式的にはこの時代の改元の権限は朝廷側にあったのですが、実際にほとんどの場合幕府側の主導で行われています。
江戸時代の改元の理由は大きく分けて三つに分類されています。
①革命、革令の年による改元
②天皇の代初めによる改元③変異、災害による改元です。
平成から令和に移る時にしきりにマスコミが次の元号の名前を予測していたのは記憶に新しく、各方面の専門家の先生方がテレビでコメントされているのを聞いては、どれに決定されるのか国民は様々な思いを巡らせ、新しい御代に期待を抱きながら発表を待っていたものです。
当時の人々はどんな思いだったのでしょうか。一代の天皇で数々の元号があったのですから、天皇と元号が結び付くのは難しかったでしょうし、中国より伝来した讖緯説(予言)で、干支の辛酉や甲子の年に時代が動き変革が起こるという予言を期待して改元をしたこともありましたが、この中国の予言を当時の人々がどれだけ理解していたのかは解りません。やはり一番関心を集めた改元は、江戸の大火と焼失、大地震や飢饉などをきっかけとする、災いを祓うための改元だったと考えられます。
新しい時代が平和であるように思うのはいつの時代も変わりません。「令和」はスタートしたばかりです。明るい時代となるよう願って止みません。
(本稿は老友新聞2019年7月号に掲載した当時のものです)
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