コラム
素晴らしき君~〈豆腐〉
(本稿は老友新聞2019年6月号に掲載したものを一部修正したものです)
時には冷たく、時には温かく。万人から愛されて、小さなこどもからお年寄りの強い味方の君。長いこと四角四面だったけど、最近は随分と丸くなり、白く艶やかなお肌は昔のまま。そんな君が大好きです。君の名は……「豆腐」。
豆腐はのど越し良く淡泊で、春夏秋冬いつだって様々な味を楽しめる調理法も豊な食品です。しかも低価格。庶民のおかずから高級料理まで万能選手です。
豆腐は中国で生まれ、日本に伝来したのは文献上では十二世紀と確認されていますが、室町時代には京都の名産品となっています。
江戸や大阪に豆腐そのものを製造・販売する店が出現したのは、江戸時代になってからのこと。江戸初期には田楽などの調理品を売る店もありました。
豆腐といえどもその勢力はどんどん増して、江戸市中に千軒以上の豆腐屋があったといわれています。私のこどもの頃も、町内には必ず「お豆腐屋さん」があったのですが、近年はすっかり見かけなくなってしまいました。
町奉行所が江戸市中の豆腐屋に対して申し渡しをしたのは、寛政二年(1790年)頃。大きさや価格を均一にし、それを確認するための世話人を置かせています。この世話人は享和三年(1803年)には11組24人も居たといいます。豆腐を管理する仕事というのも面白いものですが、それだけ、人々の心を捉えて人気があったからでしょう。
世話人の仕事は価格の調査と品質のチェックにとどまらず、店の外での商売範囲を店の近く一町以内に制限するなど、約束事も設けていました。
さて、江戸の人々の胃袋を満たしていた豆腐の料理法を三十六種類考案し、三十六歌仙になぞらえて「歌仙豆腐」と名付けたのが宝永六年(1709年)。その後、ベストセラーとなった『豆腐百珍』が刊行されたのは天明二年(1782年)です。書名のとおり百種類の豆腐料理を紹介した同書は衝撃的で、出版文化の隆盛と共に、類似本や続編の出現を招き、『豆腐百珍余禄』や百珍の続編の料理を数えると、332品の豆腐料理が、当時の人々に紹介されたことになります。
江戸の人の心を捉えた秘訣は、単なるレピシ本ではなく、料理を通品、尋常品、佳品、奇品、絶品、妙品の級等別に解説して、巻末には「豆腐異名」「豆腐集説」と題して、和漢の文献を抄録するなど工夫され、当時の文人趣味を取り入れたところにありました。画期的な豆腐レシピ本でロングセラーでもあった『豆腐百珍』の影響で、『鯛百珍料理秘密箱』『大根料理一式秘密箱』などの料理本が数多く生み出され、料理文化に大きく貢献した事は間違いありません。
一年中冷蔵庫にスタンバっている豆腐は、古い時代から日本人に愛され続け、時代が変わって栄養豊富な強い味方です。
(本稿は老友新聞2019年6月号に掲載したものを一部修正したものです)
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