コラム
鏡餅から考える〈生命の誕生〉
(本稿は老友新聞本紙2019年1月号に掲載された当時のものです)
平成最後の年の暮れ、いろいろな思いがよぎり例年とは少し違う感覚で過ごしています。
毎年のことですが、10月のハロウィンが終わると、街はクリスマス、お正月用品で賑わいますが、年を重ねる毎にイベント性が強くなっているように思います。
その一つがお正月の鏡餅。今は真空パックが当たり前で、橙の替わりに可愛いキャラクターや猪の人形など、その他付属品も様々なものが出回っています。若い世代や子ども達はこれが当たり前になってしまうのかもしれませんが、ここで私達日本人が好んで食べて来た「餅」について考えてみたいと思います。
私達の祖先は米の粒にはイネの霊魂が宿っていると信じ、その米粒から作られている餅は、米のもつ神聖な力が凝縮し、餅を食べることによってイネの霊力が人間に宿ると考えられていました。餅は、単なる腹持ちが良くエネルギー源として効率が良いだけでなく、精神的にも満ちた食べ物として、祭礼や神事には欠かせないものです。
この季節、スーパー、コンビニなどでは「鏡餅」が売り場に華を添えています。「鏡餅」は「御鏡」ともいい、中高の丸さが特徴で、正月の鏡餅は、それ自体が神様の依代、歳神の神座と考えられてきました。それは、三種の神器のひとつ「鏡」を冠した呼称であることからも解ります。古来、神霊は鏡に依りつくとされ、神体が鏡となっている神社も存在しています。
鏡餅は丸いことにも意味があります。江戸時代あたりから、食用の餅はのし餅(切り餅)として関東、東北地方に分布していますが、鏡餅は日本全国すべて丸餅です。この丸餅を重ね、中高にして丸くふくらんだ形を崩さないように二つ重ねる。これには、心臓を模ったという説もありますが、それは、生命力の更新をはかるのには最もな形だと思われます。
鏡餅以外の小さな丸餅にも、丸い形は尊ばれています。正月にはつきもの付き物の「年玉」。その昔は、主人から使用人へ、家長から家族へ贈られる正月の贈答は、日用品からお金まで全てを年玉とよんでいました。
第二次世界大戦以前ごろまでは、地方ごとに年玉の言われ方も様々でしたが、正月の丸餅そのものを年玉とした地方もあり、歳神に鏡餅を供えるばかりでなく、家族それぞれに丸餅を年玉としてすえる習慣が伝わっています。そこには、歳神からの分配という意味があり、それは「御魂分け」を表し、歳神の御魂分けなので「歳魂」(年玉)と考えられています。お正月に仕事場や道具に丸餅をすえる習慣はそうした理由でしょう。歳神からいただいた歳魂をもって年重ねのしるしとしたのです。
お雑煮も同様で、本来の意味は年重ねにあり、餅に歳神の「分御魂」を授けてもらい、福寿を願っていただくものです。私達が普段なにげなくいただいている餅は、カミと私達ヒトを結ぶ大切な意味のある食べ物だったのです。
(本稿は老友新聞本紙2019年1月号に掲載された当時のものです)
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