コラム
「町奉行所」それぞれのお役目
(本稿は老友新聞本紙2018年2月号に掲載された当時のものです)
1月も瞬く間に過ぎてしまいそうです。今年のお正月は久しぶりに都心に出かけてみました。華のお江戸は凄い人!というのが実感です。百貨店はお目当ての福袋を求める人達で大賑わいでした。
買物袋を抱え誰も気にも留めずに歩いている、都会の人気スポットに、実は町奉行所跡があるのでご紹介いたします。
南北町奉行が置かれたのは慶長9年(1604年)。特に庁舎はなく、町奉行の邸宅に白洲を作って職務に当たっていたというのですから、今でいう自宅兼職場ということです。北町奉行所は呉服橋御門内、南町奉行所を八代洲河岸に設けたのは寛永8年(1631年)のこと。八代洲河岸はオランダからやって来た、ヤン・ヨーステンの屋敷があったところで、現在は八重洲と呼ばれています。八重洲地下街にはヤン・ヨーステンの銅像がありますのでショツピングついでに探してみてください。
後になって北町奉行所を数寄屋橋御門内に移したのが、南町奉行所より南になってしまったため、両奉行所の名称を入れ替えることになりました。その奉行所跡は、東京駅北口付近に北町奉行所、有楽町マリオン近くに南町奉行所跡として残っています。こんな都会に時代劇に出で来る場所があったのですね。しっかりと碑があるのですぐに探せます。町奉行の役目は、江戸の町の司法、行政、警察といったところで民生全般にわたり、今でいえば、警視総監と東京都知事、地方裁判所所長、消防署長を兼務するものです。考えればものすごく大変重い責任のある職務でした。
南北町奉行所は月番として隔月で訴訟を受け付けていましたが、町奉行は町人地を管掌しており、非番時も受理していた事件の整理や処理で忙殺される日々だったそうです。
南北奉行所には与力と同心が配されています。吟味を担当するのが与力で、同心は与力の下役として働き、警察業務には関与していませんでした。警察業務とは、隠密廻り、定町廻り、臨時廻りといわれ南北で30人。少数精鋭で治安を維持していたのです。それだけ、江戸の町は自治組織が確立していたのです。
与力も同心も世襲制で手柄を上げても出世することもなく、将軍にも御目見えができませんでした。罪人を扱うために「不浄役人」とされていたからです。
それでも羽振りがよかったのは、大名家や商家から何か事件があった時などに付け届けがあったからなのです。いつの時代にもこのようなことは行われていたのですね。
有楽町の北町奉行所跡には、当時の石垣が残っています。待ち合わせの人が腰を下ろしているのですが、皆さん奉行所跡とはご存知ないようで。都会の真ん中でもまだまだ「江戸」は息をしています。
(本稿は老友新聞本紙2018年2月号に掲載された当時のものです)
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