コラム
「江戸の美女」美女は世につれ、世は美女につれ~連載76
(本稿は老友新聞本紙2017年7月号に掲載した当時のものです)
梅雨の季節になると、ジトジト、ムシムシ、ジメジメの不快感がまとわりつくため、爽やかな美しいものを、つい求めてしまいます。
雨に濡れる紫陽花を愛でるのも一つですが、先月号に「江戸の三男」を書いたので、やはり今月は美しい女性!江戸の美女をお届けしたいと思います。
一口に「江戸の美女」といっても、江戸約260年間を通して流行り廃りがあります。
多くの方が思い描くのは、つぶらな瞳、頬はふっくらしもぶくれ、もったり鼻に、口びるぽっちゃりサクランボ。寛政8年(1796年)頃の歌麿の大首絵「ポッピンを吹く女」などの歌麿型美女だと思うのですが、この顔が流行ったのはほんの10年位のことでした。江戸の美女も世の中の動きと同じでドラマチックに変わっていったのです。
まず、初めて登場したのは、当時の人気絵師・鈴木春信が描いた、今にも折れそうなきゃしゃな手足、あどけなさが残る典型的な清純派の、明和の三美人の一人、江戸笠森稲荷社前の水茶屋のお仙。
そして20年後になると鳥居清長がスラリと背の高い、鶴をイメージするような凛とした澄んだ切れ長の目、愛嬌のある口元、明るくおきゃんな町娘を躍動感溢れる筆で描いています。
その10年後には、肢体はぽっちゃりとなり、おっとりとした中に、一途さがある歌麿の時代となり、浅草寺の茶屋の難波屋おきた、両国のせんべいやの高島屋おひさ、芸者の富本豊雛が寛政三美人として有名です。
続いて30年後になると、渋い小紋を着て、色気のある美女を渓斉英泉が描いていますが、今までの美人画とは違い、眉根は寄って下唇は突き出た細面で、姿勢も悪くて胴長。足の甲は高くて指の形も悪い決して魅力あるプロポーションではないのです。
最後にタイプ別にまとめてみましょう。春信型美女・七頭身で少女の様な柔らさ。清長型美女・十頭身でカッコ良く健康的美女。歌麿型美女・八頭身で肉付きが良い。英泉型美女・六頭身の猫背でプロポーションは最悪、しかしかながら写実的。
写真のない当時はカラープロマイドの役割を果たしていたのが錦絵です。そこから江戸の美女の変遷を追う事が出来ます。細かくチェックすると眉の描き方や目の大きさなど、パーツごとに違っています。
時代も変われば美女も変わる。美女は世につれ、世は美女につれ。比べて楽しい江戸の美女列伝。読者の皆様はどのタイプの美女がお好きでしょうか。
江戸の錦絵はいつ見ても本当に美しいもので、大切にしたい貴重な文化です。
(本稿は老友新聞本紙2017年7月号に掲載した当時のものです)
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