コラム
孫に語り継ぐ戦争の記憶「奇跡を二度見る」
南京城外、中山稜の麓での過酷な部隊教育を終え、昭和15年11月に卒業し、原隊に復帰した。
私は15名の兵士の生命を預かる第一線の部隊長として作戦討伐に参加していたが、その途中、突然の体調不良となった。診断の結果、急性腎臓病で、16年3月、鎮江陸軍病院に入院となった。尿に蛋白が出ていたが、次第に悪化し、血尿が出るようになり、眼は霞み、言語障害も出るようになった。
看護婦の応対にも首を振ったり頷くだけ。寝台に「赤丸」の印が付いた。重症患者となってしまったのだ。
病状は悪化するばかり。軍医から絶対安静を宣告され、一時危篤状態が続いた。
もう駄目かもしれない。我ながらどうすることも出来ない。悲しさ、口惜しさ、病気なんかで死にたくないと、人に隠れて幾晩も一人で泣いた。
そんな時、年配の婦長さんが見回りに来て、私の手を握り「あなたはまだ若い。現役で、やる事が沢山あるでしょう。病気は必ず治ります。元気を出して頑張ってください」と励ましてくれた。
また婦長さんの配慮で、利尿に西瓜が良いと、特別に毎日頂いた。
一時は死も覚悟していた病気も奇跡的に6か月で全快し、退院することが出来た。今でも婦長さんに頂いた西瓜が特効薬であったと信じております。婦長さんは私の命の恩人である。
退院後、本部付書記を命じられ、部隊功績恩賞業務を担当し、多忙な毎日を送っていた。
17年3月、善通寺陸軍病院でご奉公していると、
「南京で大変お世話になりました。ありがとうございました」
と、夢のような便りがA看護婦から届いた。
A看護婦は、腸チフスを患い、もう助からないと思っていたのだが、全快したそうだ。
「私の手を握り、泣きながら励ましてくれたとき、こんな所で死んでたまるかと、暗闇の中で一条の光を見た思いがしました」
生きる力が体中から湧いた。A看護婦からの手紙が、私を地獄の底から引き戻してくれたようにも思えた。奇跡を二度見た思いです。
(香川県 K・Y)
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