コラム
2022年01月02日
「原爆の苦い体験」~本紙読者投稿より
昭和20年8月6日午前8時15分。広島で原子爆弾が炸裂した。
私は当時18歳。広島市から2キロ離れた場所で被曝しました。
爆発直後は、辺りは真っ暗になり、爆心地から5キロの場所まで窓ガラスが割れ、屋根瓦も飛びました。向洋~海田市間は車、人間も全て通行止め。
私は向洋付近の会社の寮にいましたが、学校、工場、そして工場の寮など、少しでも空き地のある場所に、火傷を負った人や怪我をした人が群れで入り込んできました。
空き地には毛布が敷かれ、人が寝かされていきます。火傷が悪くなり、死に至る人も多い。
そのうち私たちは市に救援として入り、不明者を探しました。市内は言葉で言い表せないほど、地獄と化していました。生きている人は「水、水」と呟きながら、水を求めて彷徨っていますが、軍の命令で水は与えられませんでした。
気の毒ですが、どうすることもできません。実に残念なことでした。今でも思い出す、私の被曝体験です。
(広島県 M・T)
この記事が少しでもお役に立ったら「いいね!」や「シェア」をしてくださいね。
- 今注目の記事!