コラム
2021年10月26日
「青春なんて無い戦中戦後」~本紙読者投稿より
私は昭和4年生まれですが、その頃は義務教育が小学校6年まででした。小学校5年生の時に、国民学校になり、その後は、小学校高等科2年がありました。
私も小学校を卒業して、少し離れた沼田市の女学校へ行きましたが、家が遠く、学校の寄宿舎に入りましたが、あまりにも食糧事情が悪いものですから、その寄宿舎が閉舎になり、その後、沼田に住むおじさんの家に下宿させてもらいました。そこのおばさんがとても難しい人で、嫌な思いもしました。
山梨から来ていた友から
「おじさんの家でも気苦労があって大変だね」
と労わってもらい、学校で泣いたこともありました。その友とも1年ちょっとでお別れ。山梨の実家へ帰ってしまいました。
その頃の学校生活は学徒動員や勤労奉仕ばかりで、勉強どころではありませんでした。
昭和20年8月15日、終戦となり、玉音放送がありまして、皆で泣きました。その頃私はまだ15歳くらいだったと思います。戦後も食糧事情が悪く、お腹をすかせて泣きました。
今の人生も、色々な事があって大変ですが、戦中戦後の事を思えばまだまだ幸せです。
老いても主人と2人で、そしてヘルパーさんにも週3回お世話になりながら、なんとか自活しております。主人は脳梗塞になりましたが軽く済み、自分のことはなんでも出来ます。老いてもこうして2人で、なんとか生活できることが何よりありがたいと感謝しております。
(東京都 H・S)
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