コラム
「特攻兵と妓」~本紙読者投稿より
私たちの世代は、戦争抜きでは人生を語れない。これは当時、詫間海軍航空隊にいた、ある兵曹の手記(18歳の遺言書)である。皆様に紹介しよう。
◇
《兵曹の手記》
昭和20年、詫間航空隊に特攻隊として出撃命令が下され、以前に増して訓練は厳しくなった。
速度は遅く、装備も悪い水上偵察機では、敵の戦闘機と戦うのは不利であり、闇を利用し、低空で敵艦に接近して体当たりをする訓練を行った。
夜間訓練が多く、プロペラの風で海面が波立つほど低空で飛行した。危険性が高いため事故も多く、特攻出撃の前に殉職者が出た。
ところで、私と同じ隊のN兵曹とは外出日が一緒で、よく善通寺の遊廓に行った仲である。そのN兵曹に恋人が出来た。廓の妓(芸者)である。その女性がN兵曹にぞっこんで、N兵曹も
「もし俺が特攻員でなければ、かあちゃんにしてやるんだがな」
と話していた。
しかし、N兵曹は突然死んだ。訓練中に超低空飛行で飛び、その後行方不明になったのだ。やがて小豆島の西の海中でN兵曹の飛行機が発見された。
その夜、私は例の妓の所に寄った。以前、N兵曹からもらったタバコのケースを遺品として渡すためである。
「今日、急に命令が出て、N兵曹は出撃した。出るときに、これを渡してくれと言ってね」
妓は黙って私の顔を見ていたが、
「そう…」
と言って、タバコのケースを受け取った。私は嘘がばれないうちに、逃げるようにして帰った。
それから一週間がたち、どうしているか妓の所へ訪ねていくと、顔見知りの仲居の小母さんが言った。
「あの妓は死にましたよ」
私はぎくっとした。首を吊って死んだのだという。
仲居の小母さんが、例のタバコケースを持っていたので、それはどうしたのかと聞くと、首を吊った妓の懐から出てきたのだという。
「あの妓は、タバコは吸わなかったのにね……」
と不思議そうに言った。小母さんの言葉は深く印象に残った。
◇
それから三ヵ月後、終戦を迎えたのだ。(香川県 K・Y)
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