コラム
2021年08月26日
「詫間航空隊と共に散った若者の命」~本紙読者投稿より
昭和16年11月、詫間海軍航空隊の建設が発表された。
18年6月には同航空隊が開隊し、九十四式水上偵察機、二式飛行艇など含め、各地から2千名もの兵員が着任して猛訓練が開始された。
19年9月には沖縄攻防戦に備えて、横須賀航空隊の主力を詫間へ移し、全飛行艇の一大作戦基地となった。
昭和20年2月には、全小型機による特別訓練が発令された。それこそが水上偵察機による神風特別攻撃隊、琴平水心隊である。猛訓練の後、沖縄周辺の米艦船に体当たりを敢行した。
同年4月には、決戦態勢として全飛行艇隊を統合し、実戦部隊を編成した。銀河爆撃機により、ウルシーにて米軍機動部隊を強襲し、度重なる作戦行動の末、多くの若者の命が沖縄の空に散華した。
詫間海軍航空隊は、開隊わずか2年で、尊い若者達の命を犠牲にしつつ、歴史の中に消えてしまったのである。(香川県 K・Y)
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