コラム
2016年07月27日
機械化前の農業~苦労人だった主人
静岡県 M・T
私は19歳の時に、親同士が決めた縁で結婚をしました。
嫁ぎ先には庭に小池があり、牛を飼育しておりました。持参金付きの養子で、姑は片目の方です。5年生の義妹に毎日苛められましたが、20歳の主人は労わってくれました。洗濯、食事作りは嫁の務めですから。
塩を舐めながらの牛の世話
牛舎での仕事は、干草と藁を切り、糠と混ぜ、餌桶に入れます。すると牛は美味しそうにたくさん食べました。池の水を大きなバケツで与え、牛はのどを潤していました。私は牛舎に固い塩を持ち込み、舐めて凌いでいました。
春は草刈りをして牛に与え、夏は干草にするのも私の仕事でした。主人は牛を柱に結わえ、毛にブラシをかけ、水で洗い、可愛がった。田均しは牛を使い、私は田植えの上手な姑と夢中で植えました。
私が嫁ぎ10年が経った頃、義妹は結婚し、私は安堵しました。舅は間もなく病気を患い亡くなられ、そして主人が一家の主となったのです。
秋が終わると、牛の背に鞍を置き、道草防止に竹口輪をし、手綱で操りました。
主人は霜にもめげずに働き、その賃金で生活をし、一男二女を一人前に育てました。
年月が流れ、農業の機械化の兆しに、姑と相談して牛を手放し、トラクターに乗るようになりました。可愛そうだが仕方がありません。
「モウー」という鳴き声に、「牛さんありがとう」と皆涙で見送りました。
まだ農業が機械化する前の古い思い出です。
主人の苦労に感謝しています。
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