コラム
熊本地震「その時私は」(前編)
熊本県 I・Y
「絶対安全な地域」と言われていた熊本で、県・市町村すべてが「想定外」だった震度6・7の地震と余震が熊本地方を襲い、身震いする衝撃的な恐怖感と不安を覚えた。
郷土のシンボル熊本城の櫓、石垣は崩れ、名勝・水前寺の池は干上がるなど、その爪痕の大きさに唖然とするばかりであった。
その日4月14日午後9時26分、そろそろ寝ようかと思っていた時、突然グラグラミシミシ……。「地震だ!!」と思わず落下の危険がよぎった天井に両手を差し向けた。その後すぐに隣室にいた妻の無事を確認、その夜はまんじりともせず家の中で過ごした。
夜が明けて家の周りを見上げれば、2階の屋根瓦がずれて落下しそうになっており、家の内装も土壁が一部落下し、ところどころにひびが散見される。
台所周辺は?・・・見れば、幸い茶タンス等の倒壊はなかったものの、中の茶碗や皿、コップ等が割れて約2割は廃棄処分。
幾分片付けは終わったが、生活インフラである電気、水道、ガスは全てOFF。その日はなんとかやりくりして過ごし、震度6の「本震」が終わったので、あとは小さな余震位・・・と安易に考えておりました。
すると翌々日16日午前1時25分、今度は前回の地震よりも大きな揺れが襲ってきた。後で分かったが、これが「本震」とのこと。
近所の人たちの思いやりで、私たち年寄りは車に乗せて頂き、2キロ先の死の避難指定地の中学校に行ったが、避難施設の講堂は「危険」とされたため、グラウンドになんとか駐車、その晩は寝苦しい車中泊になった。
夜明けと共に帰宅。幸いその日、福岡から長男が見舞いに来てくれ、一緒に後片付け。
まだまだ余震が心配されたので、夜は長男の車で再び中学校のグラウンドに行ったが、満車のため仕方なく近くの高校に。こちらも講堂は「使用禁止」で、やっとグラウンドに駐車、親子三人で車中泊となったのだ。
(続く)
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