コラム
「娘の『気配り弁当』が楽しみ」~本紙読者投稿より
野良着を脱ぎ替えて昼食に。「今日はどんなお弁当だろう」と、食いしん坊の私は毎日が楽しみです。出勤前に娘が用意してくれる弁当は多種です。
―戦中を含め、昔の弁当を思い出しながらの一人の昼食です。
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小学校時代は梅干2~3個に漬物。醤油でまぶしたオカカをのせてくる子は上等な方です。アルミの弁当箱の蓋が梅の酸でボロボロになるほど、日の丸弁当が普通でした。貧しい米作農家でしたが、弁当だけははなんとか持っていけました。
戦争末期の生活はひどく、さつま芋を製粉した粉が配給され、蒸したら真っ黒い塊となり、それでも甘いと喜んで食べたものです。酷い食べ物で痩せながらも命をつないだのです。現代なら誰も食べないでしょう。
戦後、農家の長男と結婚。両親兄弟祖母と10人分の食事作りは大変でした。
前夜に丸麦を湯がき、朝、米と一緒に混ぜて焚く麦飯は、水加減と薪の火加減が重要です。失敗して芯の残ったご飯を釜いっぱい炊いてしまい、謝りつつ泣きたい気持ちで食べたこともあります。
油揚げ、豆腐、こんにゃく、そしてたまにお茶も買うことはありますが、ほとんどは自家製野菜でおかずを作り、麦飯をおかわりしてたくさん食べました。味噌汁、漬物、納豆、塩辛、そして野菜の煮物があればそれだけで過ごしていたのです。
子供が小学校に持っていくお弁当も有り合わせを詰めて持たせるだけですので、お弁当に期待と喜びは湧きませんでしたが、もっと感謝をして食べればよかったと今は後悔しています。そして間もなく学校給食が始まりました。
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今日も娘の「気配り弁当」を前にして、なぜか昔の弁当や、10人並んだ食卓を思い出します。あまりの違いに「あんな時代は御免だ」と、野菜の煮物を美味しくいただきながら思います。
この気配り弁当のおかげで、なんとか今日も畑で野菜作りができることに感謝して、孫の分の野菜まで作りたいとの思いで頑張っています。(静岡県 S・O)
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