コラム
2017年08月31日
襦袢に綿入れが通学服。「ノミ、シラミとの闘いだった」~82歳読者からの投稿
(神奈川県 T・S)
昭和になって初めての「イノシシ年」生まれ、82歳の老人です。
東北の山村で生まれ育ち、農業の手伝いをして過ごしました。
学校は国民学校でした。
週一回の朝礼で、校長先生の話といえば、戦争の話ばかりでした。
通学の着物は「襦袢」に「綿入れ」でした。
朝礼の際、講堂には朝日が差し込み、衿元を照らします。すると綿入れの衿元から、暖かさを求めて「シラミ」が出てくるのです。
同級生が後ろで私の背中をたたき、小さな声で「でてきたよー」と私に。
それがイヤで学校を休むことが多かった。今でいう「イジメ」の始まりかと思うのです。
農家の居間には、寒い時期には必ず「ムシロ」が敷いてあった。ワラムシロは暖かいのです。しかし「ノミ」がわくのです。
春先近くになるとムシロを取り除いて板の間にするのですが、ムシロをはがして外に出して干すと、ホコリやゴミと一緒に「ノミ」がたくさんいるのです。この「ノミ」が足にくっついて血を吸うのです。
今のように薬もなく、父母は潰して退治していたのを覚えている。
終戦になって間もなく学校で「DDT」を袖口や背中から吹きかけ駆除しました。このような事をしてまで、学校に通って勉強をしました。
今では「ノミ」や「シラミ」はどこへ消えたのか。
長い人生、色々な経験をしてきたが、一つ一つの積み重ねから時代は経過しているので、大切に語り継ぎたいと思っている。(老友新聞社)
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